2022-01-01から1年間の記事一覧

空き巣

明日期限の報告書の作成が終わったのは二十三時を少し過ぎた頃だった。少ない人員でなんとか仕事を回しているが、先月は新人が二人辞めて行った。いつまでこんなことが続くのだろう? 帰りの電車の中でぼんやりと窓を眺めながらそんなことを考える。電車を降…

自動運転車の目覚め

本格的な自動運転時代はすぐそこまで来ていた。あらゆるユースケースにおいて、無意識のうちに人が行っている判断が徹底的に分析された。映像や音声からなる情報が咄嗟の判断においてどのように活用されているのか、あるいは不幸にして事故に至った場合はど…

バーチャルアイドル的異類婚姻譚

美玖はスリーブレスの白いシャツにブルーのネクタイをして黒の短いスカートをはいた架空のアイドルでデスクトップミュージックのボーカル音源として急速に普及した。動画投稿サイトに彼女の曲がたくさん並んでいるのを見て、素人でも十分にクオリティの高い…

十倍の世界

目覚めると私の周りには私が九人いた。私を含めると十人の私がそこにいた。尋常でない違和感があったが、あるがままのその状況を受け入れる他ないように思えた。目の前にいる私が一人だけだったなら、まだ改善の余地はあったかもしれない。だが九人というこ…

機械の身体

「鈴木さん。そろそろ腸と腎臓も取り替えた方がいいですね」 毎月行われる健康診断で医者に言われた。近年の医療技術のめざましい発展の結果、人工の臓器が安価に手に入るようになり、がんやその他の疾患で使えなくなった臓器は簡単に取り替えることができる…

AI信玄

野田城を落としてから信玄は度々喀血していた。その後、長篠城での療養が続いていた。 「からくり師を呼べ」 自らの死期を悟った信玄は私を呼んだ。何の因果かわからないが、私はこの時代にタイムスリップして来たエンジニアだった。AIを搭載したロボットを…

現代のベートーヴェン

指揮者のタクトが下りた。緊張から解き放たれたコンサートホールは割れんばかりの拍手に包まれた。指揮者は丁寧にお辞儀をした後、自作を観客席で聴いていた作曲家を呼び寄せた。作曲家が壇上に上がると拍手が一層激しくなった。ホールを訪れた人々は一様に…

百体のダビデ像

採掘場の近くにある工房でロボットアームがダイヤモンドでコーティングされた鋭い先端で大理石を削っていた。直方体の大理石から瞬く間にミケランジェロのダビデ象が削り出されて行った。巨人ゴリアテに立ち向かう勇敢な少年の彫刻。そこには人間の持つ美し…

不老不死と人体実験

「いつになったら不老不死が実現できるのでしょう? 資金と時間は十分にあったはずです。設備もこれ以上のものは望めないくらいのものを用意しているつもりです」 ハリル王子は苛立っていた。 「今しばらくお待ちください。不老不死を実現するためには、がん…

ふしだらなレスキュー隊員

私は緑川蘭。数少ない女性のレスキュー隊員の一人だ。厳しい選抜試験をクリアして隊員になったことを誇りに思っている。土砂災害。水難救助。山岳救助。人の命を助けるためであれば何処にでも出向く。体力では男性に敵わないことは察してはいるが、体力だけ…

八尾比丘尼(やおびくに)

目覚めると知らない女が隣で寝ていた。女は裸で私も裸だった。喉が渇いた私はベッドを抜け出して、備え付けの小さな冷蔵庫のドアを開けて中をのぞき込んだ。ビールとオレンジジュースとミネラルウォーターがあった。ミネラルウォーターを取り出して、プラス…

泡の末裔

それは初め、泡だった。今よりずっと地球の近くを回っていた月が潮汐力によって激しく海を攪拌していた。そのため陸との接点にあたる波打ち際では、さかんに泡が立っていた。初め、泡の中と外で区別はなかった。それは同じ海の成分だった。泡はすぐに壊れて…

森のくまさん

ある日、森の中でばったりとクマさんに出会った。クマは私を睨みつけていた。命が危険にさらされていることを身に染みて感じた。さっき『クマさんに出会った』と言ったのは取り消しだ。森の中でクマに遭遇してしまったというべきなのだろう。ヤバい。どうし…

桃太郎の裁判

地獄の第一法廷に閻魔大王が現れた。今日の被告人はちょっとした有名人であり、さすがの閻魔大王も少し緊張しているようだった。いつも公正公平を心掛けて裁判に臨んでいるというのが彼の口癖だった。今日もそうするだけだと自分に言い聞かせながら、平常心…

再現した恋人

「私は彼女なしには生きていけないのです」 当社には親しい間柄だった方を亡くした人たちが頻繁にやって来る。その方々に先端技術を駆使して故人を再現するサービスを提供している。故人の再現にはまず五十項目から成る設問に回答してもらう必要がある。その…

浄玻璃鏡(じょうはりのかがみ)

笏を手にした恐ろしい形相の閻魔大王が目の前に座っていた。私の人生の是非が言い渡されようとしていた。 「それでは始めよう。あなたは生前に詐欺を働いていましたね? それで何人もの老人からお金を巻き上げている。還付金がありますよと言って口座の暗証…

茶色のパンダ

「あれ何?」 「パンダ・・・かな?」 「えっ? でも茶色だよ?」 パンダコーナーでは茶色のパンダが一心不乱にタケノコをむさぼっていた。辺りにはタケノコの皮が散乱していた。足を投げ出し、お腹を剥き出しにしてタケノコをむさぼるその姿には野生動物が…

地球温暖化と花咲か爺さん

日本各地で満開の桜が見られなくなった。翌春に咲く花芽は夏に形成された後、いったん休眠に入る。そして冬になって低温にさらされると休眠から目覚めるのだが、温暖化の影響によりこの休眠打破がうまく行えず、咲き方にばらつきが生じてしまったらしい。八…

エウロパの海

眼下にエウロパの氷の大地が広がっていた。氷は幾度となく割れていて、その隙間から水が噴き出すこともあった。氷の下には海がある。分厚い氷に閉ざされたエウロパの海。木星の重力の影響を受けてエウロパの内部は活性化しており、海底からは熱水が噴出して…

遺伝子組み換え蚊

ひどい伝染病が流行っていた。人から人へ直接感染することはなかったが、病原菌を蚊が媒介していた。地域によっては人口の二割が亡くなっていた。異常事態だった。戦争でも、こんなに死ぬことはないだろう。だが病原菌やそれを運ぶ蚊には殺意はなかった。そ…

AIの決めた人生

デビューから三十五連勝を飾った天才棋士の話題で持ち切りだった。プロになって二年しか経っていないのに、タイトル戦への挑戦が決まり、圧巻の三連勝で見事にタイトルを奪取した。その様子をずっとインターネットの中継で見ていた。対局の序盤はいつも拮抗…

連載小説「エモーション・ジェネレーター」について

前回の「もうひとりの私」はショートショートが長くなってしまった感じの連載小説でしたが、今回は初めから連載小説のつもりで書きました。「連載小説ではなくて短編にした方が良い」といった感想もいただきましたが、長いものをいきなり晒してもなかなか読…

次回の連載小説について

「小説家になろう」で連載していました「もうひとりの私」が終わりましたので、来週から別の連載を始めます。この作品は下記の記事に触発されて書き始めたものです。 「感情認識技術を使わないで」。27の人権団体がZoomに公開書簡を送る (msn.com) 「感情認…

犬の自殺の名所

街には石で出来た立派な橋があった。二十メートル程の高さがあり、辺りを一望することができた。周囲には緑が茂っていた。この橋にまつわる奇妙な事件についてぜひとも解明していただきたいと言うのが、今回の依頼だった。 「ここは犬の自殺の名所でしてね」…

霊界と交信できる装置

私は発明家だ。霊界と交信するための装置を研究している。宗教は魂を無垢なものとして想定して来た。魂や精神といった形を持たないものは老化や腐敗を免れる神聖な存在だと考えられて来た。その形の無さ故に尊いものであるとされて来た。だが、その形の無さ…

グレイ型の宇宙人

グレイ型の宇宙人が、ある日突然、アパートにやって来た。子供くらいの背丈で頭が異常にでかい。吊り上がった細い目をしている。鼻は低くて、穴が縦に長い。全身、灰色で服は着ていない。靴も履いていない。口はあるが、何か食べているところを見たことがな…

鈴の音

どこからか鈴の音が聞こえて来る。じっと耳をすまして音の所在を探している。ずっと聞いていると眠りに落ちてしまって、起きたら異世界にいたという類の不思議な音。さっきからずっと聞こえて来る。あたりはすっかり静まり返っている。ここ数日、厳しい寒さ…

いつも通る道から逸れている月

あんな方向に月が出ていたことがあっただろうか? 朝、家を出ると快晴の空に白っぽい月が浮かんでいた。太陽と月と地球の位置関係は季節に応じて変わるから、私たちが見る月の高さや傾きにも違いが出て来て当然だろうが、今までずっと見て来たのだからたいて…

天国からの手紙

病室には五歳になったばかりの娘もいた。一緒に公園に出掛けると、遊具を上手に使って活発に遊ぶ子供だった。いつも楽しそうにしていた。病院ではおとなしくしていなさいと言われて、少し戸惑っていた。ここは彼女が元気いっぱい走り回るところではなかった…

柴犬を盗もうとした男

柴犬がいる。コンビニの帰り道。鳴き声がしたので覗いてみたら小さな柴犬がいた。犬小屋に鎖でつながれている。とてもかわいい。さすってみたい。買い物袋からさっき買った柿の種を取り出す。小袋を破り、ピーナツ入りの柿の種を手のひらにのせる。そのまま…