「あれ何?」
「パンダ・・・かな?」
「えっ? でも茶色だよ?」
パンダコーナーでは茶色のパンダが一心不乱にタケノコをむさぼっていた。辺りにはタケノコの皮が散乱していた。足を投げ出し、お腹を剥き出しにしてタケノコをむさぼるその姿には野生動物が持つ一種の神々しさのようなものは微塵も感じられなかった。それはリビングに寝そべり、間断なくポテトチップスを口に運びながらテレビを視聴する無精で怠惰な人間そっくりに見えた。本当は着ぐるみで中に人間が入っているのかもしれなかった。だが、それにしてはおかしい。茶色のパンダの着ぐるみなんて、あるはずがない。
「なんか、あんまりかわいくないね」
隣に立っていた娘が言った。正直な子だと思った。実際そうだった。娘に限らずパンダコーナーに集まった大勢の人々の表情には、期待外れのものを見てしまったというがっかり感が等しく混じっていた。せっかく時間を割いてここまでやって来たというのに、あそこにいる残念な生き物は何だ? 誰もがそう思っているに違いなかった。
「あれはクマさん?」
近くにいた子供が母親に聞いていた。茶色だからな。少年よ、君は正しい。私もそう思った。母親は困惑した表情を浮かべていた。子供に言い聞かせるべき言葉が見つからないようだった。
「あのクマさん、いつまで食べているの?」
娘がトゲのある言葉を放った。少年の言葉が娘に伝染したようだった。娘よ、それはクマではない。だが、その誤りを私は正さなかった。なんだか労力の無駄のような気がした。ただひたすらにタケノコをむさぼっている茶色のパンダを擁護する理由が私には一つも見当たらなかった。
「クマじゃないって」
誰かの声がした。私は周囲を眺めてみたが、そこには一様に残念な表情で茶色のパンダを見ている人々しかいなかった。
「そこじゃないって、こっちだよ」
声に導かれて正面を見ると、タケノコをむさぼり食う茶色のパンダと目が合った。
「お前が話しかけているのか?」
「初対面の相手に向かって『お前』って失礼じゃないですか?」
パンダは私に言った。そうかもしれない。ちょっと失礼だった。
「ごめんなさい。悪気はなかったのです。ただあまりにびっくりしてしまって」
「気持ちはわかりますよ。いきなりパンダに話しかけられると誰もが驚くものです」
茶色のパンダは私の気持ちを察してくれたようだった。でも、本当にパンダなのだろうか?
「だからクマじゃないってさっきから言っているじゃないですか?」
茶色のパンダは少しむきになっているようだった。
「生まれた時からこの色なのです。仕方がないじゃありませんか?」
茶色のパンダは切々と訴えかけて来た。
「小さな頃から、『あいつパンダのくせに茶色い』とか言われて、ずっと差別されて来たのです。普通のパンダに生まれて来たかったと何度思ったことでしょう」
茶色のパンダは続けた。なんだか、少しかわいそうだと思った。
「あなたにわかりますか? 茶色のパンダに生まれて来た者の苦しみが。パンダになりきれないなら、いっそのことクマになりたいと思いましたよ。それでクマのところに行って言いました。私を仲間にしてくださいと」
「で、どうでしたか?」
別に聞きたい訳ではなかったが、何か聞かないと悪いような気がした。
「『お前みたいに目の垂れたクマなんていねぇ』と言われました。私はいったいどうしたらいいのでしょうね? パンダにもクマにもなれない」
「クマンダというのはどうですか?」
「何ですか? それは?」
「いや、クマとパンダのハーフということで」
「あなた私をバカにしていますね? ライオンと虎を掛け合わせたライガーとかならいいですよ。かっこいいから」
「すみません。つまらないことを言ってしまって」
どう取り繕えば良いのかわからなかった。茶色のパンダと話し始めてから事態は悪化の一途をたどっていた。
「あっ、パンダだ! お母さん、かわいいパンダさんがいるよ。図鑑で見たのとおんなじだよ」
通りかかった小さな男の子がそう言った。茶色のパンダはあっけにとられていた。その男の子は興味津々の眼差しで茶色のパンダを見つめていた。
「おい、人間!」
「はい、なんでしょうか?」
「俺は仕事をする」
そう言って茶色のパンダはタケノコをむさぼり食うのをやめ、ボールやタイヤを使って遊び始めた。それを見た人々は喜んだ。あれは本当にパンダなのかと疑惑の目で見ていた人たちは、愛らしい姿で遊ぶパンダを見て満たされた気持ちになったようだった。ちょっと茶色いけどやっぱりパンダだ。ここまでやって来て良かった。そういう気持ちが茶色のパンダにも伝わったのか、ますます動きが活発になっていった。そして訪れた人々も茶色のパンダもみんな楽しいひと時を過ごすことができた。
茶色のパンダを喜ばせた少年は色覚に異常を持っていたのだろうか? それとも色の違いは彼にとっては些細な問題だったのだろうか? いずれにしても今日がとても良い一日だったことに変わりはなかった。