アリアドネ

 今夜もダウンジャケットに身を固めて、高台にある公園にやって来た。自転車に積んで来た望遠鏡を地面に降ろす。三脚の足を延ばして高さを調整し、赤道儀を取り付ける。高度調整ハンドル、赤緯微動ハンドル、赤経微動ハンドルを取り付ける。それから鏡筒バンドを赤道儀に固定し、鏡筒を通して固定ネジで固定する。組み立てが終わったら、回転軸を合わせるため、曲軸を北極星に向ける。ファインダーで北極星をとらえてから高度調整ハンドルを回し、高度角目盛りを緯度に合わせる。望遠鏡で見たからと言って恒星の姿がそんなに変わる訳ではない。せいぜい一つに見えていた二重星が二つに見えるという程度のことだ。木星を覗いてみると縞模様があって周囲に衛星が回っているのがわかるが、それもすぐに飽きてしまうだろう。そんなものをずっと見ていられるのはガリレオくらいなものだろう。そう思いながら、今夜も来てしまった。しばらくの間、誰にも邪魔されずに星々と語り合う。それが本当の目的かもしれない。古代ギリシャ人たちは豊かな創造力を駆使して神々や英雄にまつわるたくさんの物語を作り出し、その姿を夜空の星に見出して名前をつけた。そして私は彼らの作った物語をなぞりながら、毎晩星々と語り合っている。

 

 両親は妹ばかり大切にしていると子供の頃に考えていた。その頃、私は出っ歯と言われていた。生まれつき前歯が突き出ていたから、それは仕方のないことだと思っていた。でも三歳下の妹は小さな頃、口の中に銀色に光るワイヤーをつけていた。そして矯正器具が取れてからはとても素敵な笑顔を見せるようになった。どうして私の出っ歯は矯正してくれなかったのだろう? 私はそのことでずっと悩んでいた。妹がうらやましくて仕方がなかった。女の子だから両親に愛されるのだろうかと思った。男に生まれて来たから、粗雑な扱いを受けるのだろうかと子供心に傷ついていた。

 両親の愛情のおかげで素敵な笑顔を手に入れた妹だったが、小学校の五年生になった頃、病気が彼女を襲った。学校に行くこともできず、病院ですごすことになった。私がちゃんと産んであげなかったから、そう言って母はいつも自分を責め立てていた。でも、そんなことを言っても妹の病気が直る訳ではなかった。私は毎日のように妹の病室を訪れた。心配だったのだろうか? 心配したからどうなる訳でもないことは子供なりにわかっていたと思う。ただ妹が笑っているところを見たかっただけなのだと思う。その頃、私はギリシャ神話に夢中になっていた。それまで星というものは、ただ不規則に空に並んでいるだけだと思っていたが、古代ギリシャ人のたくましい想像力は、そこに動物や人間や神々の姿を描き出していた。そして私にも夜空を駆ける英雄の姿が見えるようになっていた。私は覚えたてのギリシャ神話を妹に聞かせた。妹はとても喜んでくれた。特にアリアドネの話が気に入っていた。テーセウスがアリアドネから受け取った糸玉を使って迷宮を脱出する話が好きだった。名工ダイダロスによって築かれた脱出不可能と言われる迷宮にいるミノタウロスをテーセウスが退治する話。糸玉の端っこを入口の扉に結び付け、少しずつ糸を延ばしながら迷宮の奥へと進んで行く。そしてミノタウロスを見事に打ち滅ぼした後、糸を辿って迷宮から脱出する。彼女はテーセウスの偉業よりも、愛するテーセウスを気遣うアリアドネの知恵が気に入っていたのだろう。

 

 夜も更けて東の空から春の星座が昇って来た。うしかい座の隣に、冠座がある。テーセウスに捨てられて嘆き悲しむアリアドネに酒神ディオニュソスが救いの手を差し伸べる。そしてディオニュソスアリアドネの冠を手に取って天に投げ上げると、それが星座になったのだという。

「私も星座にしてもらえたら、お兄ちゃんにいつまでも覚えていてもらえるのにね。でももう夜空にはスペースは残っていないね。それに美しくもないし、賢くもないし、勇敢でもない」

そう言いながら妹は糸玉を私にくれた。いつの間に用意したのだろうと思った。それからまもなくして短い生涯を閉じた。冠座を見ていると、そこに妹がいるような気がした。アリアドネという名は「とりわけて潔らかに聖い娘」を意味するということだった。彼女からもらった糸玉は今でも大切に持っている。これを持っている限り、人生で迷うことは決してないだろう。

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