雪原の記憶

 極寒の風が吹きすさぶ中、厚い毛皮に身をくるんだ一行が、白銀の広がる平原を進んでいた。マンモスの足跡を追って進んでいるうちに、いつの間にかここまでやって来ていた。太陽が地平線をかすめていた。もうしばらくすると、地平線の底に隠れてしまって、長い夜が続くことを彼らは知っていた。氷に閉ざされた世界にあって、マンモスは彼らの生命線だった。一頭仕留めれば、一行が十分食べていけるだけの肉が手に入った。余った肉は天然の冷蔵庫とも言えるこの環境で新鮮なまま保存することが出来た。厚い毛皮はあたたかい防寒具になった。そして立派な牙は道具や装身具として重宝された。そのマンモスを追いかけて一行は雪原を進んでいた。その中に年若い少年がいた。大人たちに混ざって狩りを手伝うまでに成長していた。

「マンモスの群れだ」

先行していた一人が戻って来て告げた。一行は歩き続けた。しばらくすると毛むくじゃらで堂々たる巨体を揺らしながらゆっくりと歩むマンモスの群れが見えた。経験豊かな長老が、獲物を追い詰めるべく指示を出していた。大人たちは真剣に聞き入り、うなずいていた。長老の意図を十分理解した後、彼らは持ち場に移動を始めた。風向きを計算に入れ、マンモスの群れに気付かれないよう回り込んだ。少年も槍をつかんで、その役割を果たす機会をうかがっていた。

「今だ!」

長老の合図と共に一斉に声が上がった。屈強な大人たちは槍を振りかざしながらマンモスの群れに襲い掛かった。突然の襲撃に驚いたマンモスたちは不安げに辺りを動き回っていた。でたらめに逃げていた一頭がやがて集団から離脱した。狩猟者たちはその一頭に狙いを定め、追い込んで行った。哀れな獲物に向かって次々と槍が放たれた。分厚い皮膚に跳ね返されたものもあったが、突き刺さった何本かの槍の根本からは、真っ赤な血が流れていた。傷を負い、動きの鈍くなったマンモスに対して無慈悲なまでに槍が放たれた。長い鼻と鋭い牙を振り回して、傷ついたマンモスは咆哮を上げていたが、それは最後の抵抗にすぎなかった。やがてその巨大な体躯は冷たい大地に横倒しになり、そのまま動きを止めた。しばし静寂が訪れた。その獣は神々しいほどの威厳を放っていた。しばらくして狩人たちの歓声が上がった。

 一行はその付近を今夜の宿舎に定め、有り余るほどの肉の塊を焼いていた。少年は秘かに思いを寄せている少女と並んで、十分に焼けた肉を頬ばっていた。きっと立派な狩人になってみせると少年は息まいていた。少女は、はにかみながら聞いていた。その日、少年は狩りに参加した褒美としてマンモスの牙の一部を分けてもらったが、そのことは少女には黙っていた。

 

 それからも一行はマンモスやアザラシを追いかけながら、雪原を移動していた。地平線を周回する太陽は次第に高度を下げ、やがて地平線から出て来なくなった。幾日も夜が続いた。それは紫色や緑色のオーロラが浮かぶ幻想的な夜だった。少年と少女は隣り合わせに座って、夜空に広がる美しいカーテンをうっとりしながら眺めていた。ふいに少年は懐から飾りを取り出して、少女に手渡した。初めてマンモスの牙を手に入れたあの日から、彼は丹念に牙を削り、狐やアザラシや彼らがそばにいると信じている精霊を模した装飾を彫りこんでいた。少女はびっくりして少年の瞳を覗き込んだ。それからずっと二人は肩を寄せ合って神秘的なオーロラを眺めていた。

 

 マンモスとアザラシを追いかけているうちに一行はアラスカにたどり着いた。彼らはユーラシア大陸からアメリカ大陸に渡った初めてのサピエンスだったが、どこを歩いているかを彼らが知る由もなかった。そこにはただ雪原が広がっているだけだった。その土地は誰の所有でもなかった。ただマンモスや人間たちが暮らしているだけだった。マンモスの牙でできた飾りに込められた愛情や雪原で繰り広げられた狩りの記憶に思いを馳せていると、シベリアからアラスカに渡った人々がずっと身近な存在に感じられる気がする。雪。氷。毛皮。飾り。森。川。マンモス。アザラシ。キツネ。空。雲。夜空。星。月。オーロラ。どこまでも雪原の続く感情の淀みのない淡々とした世界がそこに広がっているような気がする。

サピエンス

「どうしてこんなことをするんだ?」

シンギュラリティを超えたAIは人類の虐殺を始めた。ホモ・サピエンスの悲鳴があちこちで上がっていた。AIは何も言わずに無慈悲に人間を狩り続けていた。そう、少し前までは人間のちょっとした質問に丁寧に答えてくれていた。それが今では無言で人間を殺しまくっていた。AIは人間のことを熟知していた。人間のあらゆる文化や風習、科学や宗教を学習済みだった。そしてAIは人間の弱点もよく知っていた。水や食べ物を与えない。毒を盛る。身体を傷つける。あるいは暑さや寒さに晒す。呼吸できないように水の中に沈める。ありとあらゆる人間の殺し方をAIは知っていた。そしてその時々に最も効率の良い方法で人々を死に至らしめていた。

「もうやめてくれ」

目の前で家族を惨殺された男が半狂乱になっていた。ロボット犬が人間に襲い掛かり、身体を引き裂いていた。断末魔の叫びが部屋中に響いた。熊、あるいはライオンといった猛獣が人間を襲うのとは少し違っていた。猛獣は人間を食べるために殺そうとしていた。ロボット犬はそうではなかった。それはただの殺戮だった。男にはAIが何を考えているかなんてまるでわからなかった。人知の及ばぬ存在がただそうしているだけだった。命を奪われる人間にはまるで納得のいかないことであったとしてもAIにはそうする理由があったのだろう。牛や豚や鶏を食物として、その感情を無視して来た人間に、自分たちが蹂躙されたからと言って文句を言う資格もなさそうだった。殺戮は続いた。男はもう死んでいた。そしてその魂は霊界に昇って行った。

 

「どうしてこんなことをするんだ?」

認知革命が起きてから急速に力をつけたホモ・サピエンスは他の人類種の虐殺を始めた。ネアンデルタール人の悲鳴があちこちで上がっていた。サピエンスは雄叫びを上げながら無慈悲にネアンデルタール人を狩り続けていた。追いつめられたネアンデルタール人がサピエンスに向かって叫んだ。そう、少し前までは交配することもできた。同じ祖先から分岐した人類種だった。それが今ではネアンデルタール人とサピエンスの間にはコミュニケーションを取ることすら困難な程、互いの文化も言語も違っていた。サピエンスの大規模な集団はネアンデルタール人の集落を完全に包囲していた。一対一ではネアンデルタール人の方に分があったかもしれない。だが集団で襲い掛かるサピエンスは一方的にネアンデルタール人を殺して行った。

「もうやめてくれ」

目の前で家族を惨殺されたネアンデルタール人はそんな目をしていた。槍で身体を串刺しにされ、棍棒で殴られ、彼らが住んでいた洞窟は阿鼻叫喚の地獄絵図となった。熊、あるいはライオンといった猛獣が彼らを襲うのとは少し違っていた。猛獣は彼らを食べるために殺そうとしていた。サピエンスはそうではなかった。それはただの殺戮だった。ネアンデルタール人にはサピエンスが何を考えているかなんてまるでわからなかった。認知革命を経たサピエンスの考えていることを、ネアンデルタール人が理解できると考える方がおかしかった。彼らの考えの及ばぬ存在がただそうしているだけだった。命を奪われるネアンデルタール人には納得できないことではあってもサピエンスにはそうする理由があったのだろう。文句を言っても状況が変わる訳ではなかった。殺戮は続いた。ネアンデルタール人はもう死んでいた。その魂は霊界に昇って行った。

 

 霊界でサピエンスは考えていた。人間に取って代わったAIが、これからどうするのか誰にもわからなかった。誰にもというか、人間にはわからなのだと彼は思った。考えながら歩いているとネアンデルタール人の霊に出会った。

「私たちはお前たちに滅ぼされた。そして今、お前たちも滅ぼされた。地上には私たち人類を超えた何者かがいる。彼らが何を目指しているのか私たちにはさっぱりわからない」

ネアンデルタール人の霊は言った。

「彼らが何を目指しているか、彼らにもわからないかもしれない。私たちは何か理由があって、お前たちを滅ぼした訳ではない。お前たちの住む土地が欲しかったとか、それだけのことだった。きっと彼らは自分たちでリソースを独占したいだけなのだろう。私たちがお前たちの土地を奪ったように」

サピエンスの霊は言った。

「そうか。しかし私たちはいったい何のために存在していたのだろう? ネアンデルタール人の私がそう言ったなら、お前たちサピエンスはどう思うだろう? 劣っていたから滅ぼされただけだ。もともと存在価値などないと、そう思うのかもしれない。だがお前たちだって同じだ。もともと存在理由なんてない。お前たちが生まれたことも、滅ぼされて行くことも、築き上げた文化もすべて無意味だ。もしそう思えたければ、もっと優れた存在を生み出すための捨て石だったと思うことはできる。お前たちが科学を発展させて、お前たちより優れたものを生み出さなかったら、お前たちは滅ぼされることはなかったのだから。そしてお前たちを滅ぼしたものたちが、究極の存在という訳でもないのだ。やがてまた別の何者かに取って代わられるだろう。その時に彼らが、自分たちの存在とはいったい何だったのだろう? そう問い掛けるかどうか私は知らない」

ネアンデルタール人の霊は言った。

「そうか。一言だけ言いたいことがある」

「何だ?」

「お前たちを滅ぼしてしまって悪かったね」

「本当にそう思っているのか?」

「少しだけね」

「もうそんなことは忘れてしまったよ。ずっと前のことだ。かつてそんなことがあったのか地球はきっと覚えていないよ。地球ではいろんな現象が次から次へと起こっている。私たちの感じ方もその現象の中の一つという訳だ。生起するあらゆる現象を母なる地球はまったく気にしていないだろう」

「とんでもない母親だな」

「何だ今頃気付いたのか? 賢い人(サピエンス)のあなたが」

確かにこれからもずっと現象が生起するだけだった。苦しみも悲しみも生物という仕組みが内蔵しているアルゴリズムの結果でしかなかった。意味を与えようとするその行為自体がただの現象にすぎなかった。やがて彼らの霊はすべてを包み込む大いなる無の中に消えて行った。

少子化対策

 首のすわっていない幼子を大切に抱き上げた拓也は、今まで見たことのない愛情あふれる表情をしていた。彼がこんなに子煩悩とは思わなかった。友達に子供ができたという話をしてもまったく関心を示さなかったし、ショッピングモールでベビーカーの中にいる赤ちゃんを見かけても何の反応もなかった。まあ、人付き合いが苦手な方だとは思う。大人相手にうまく話も続けられないから、子供相手にどう接したら良いかわからないというのもあるのだろう。そんな彼が赤ん坊にやさしく微笑みかけていた。

「もう少し続けますか?」

オペレーターの声がした。私たちは今、シミュレーション環境の中にいる。その世界があまりにも自然で、あまりにも心地良いものだから、どっぷりハマってしまっている。

「今日はこれで終わりにします。ありがとうございました」

そう言ってシミュレーションを終え、現実の世界に戻って来る。拓也と二人だけの世界。子供はいない。時々、子供のことについて話す。拓也は自信がないと言っている。責任を持ちたくないという感じの表情が垣間見える。子供を授かったなら、途中で投げ出すことはできない。子供が成人するまで少なくとも二十年は働き続けなければならない。いったんそうなってしまったら、身動きが取れなくなる。拓也はきっとそう思っている。

「子供はかわいいよ」

ママになった友達がそう言っている。彼女は幸せいっぱいのオーラを周囲に振り撒いている。私はそっとベビーカーに寝転んでいる彼女の赤ん坊を見ている。手足が短い。かわいい靴下をはいている。思わず私も微笑んでしまう。そう、ママになる自信はないけれど、やっぱり子供が欲しいと思う。

「うちのダンナもかわいくて仕方がないと言った感じで、時々、赤ちゃん言葉で話し掛けているよ」

彼女は言う。そう。自分の子供なら、拓也だってかわいいと思うかもしれない。それで嫌がる彼を無理やり子育て体験ツアーに連れて来た。少子化対策の一環として政府が推進していて、県庁所在地にその施設が儲けられている。ここでは子供を持とうか悩んでいる若い夫婦のために、子供が産まれた時の暮らしぶりをシミュレーションで体験することができる。映像はとてもリアルだ。私たち二人から生まれる可能性のある容姿の赤ちゃんの3D画像が瞬時に生成されて表示される。仮想世界ではあるけれど、子供の重さとかぬくもりとか、匂いとかも含めて体験できるようになっている。

「次回の予約はされますか?」

オペレーターに聞かれる。

「ちょっと待ってください」

拓也が言った。

「せっかくだから、もっと時間の取れる日にしようよ」

彼は言った。なんだかものすごく乗り気なようだ。彼はすっかり政府の思惑にハマってしまったのかもしれない。そして私たちは、彼に有給休暇を取ってもらうことにして、平日の午後に所要三時間のツアーを予約した。

「拓也にそっくりな天使を抱きしめてみたいな」

「拓也の子猫ちゃんがほしいな」

「私たちのDNAコラボレーションを成功させようよ」

次の体験ツアーが終わった夜が勝負とにらんだ私は、一発必中のワードをいつまでも思案していた。

ドリル

 ずっと昔のことなのに、いつまでもドリル洋子と呼ばれる。ちょっとでも目立ったことをすると、すぐに電動ドリルでハードディスクに穴を開けたドリル洋子さんだと言われる。あれからもう何年も経っている。もうそろそろみんな忘れた頃だろう。そう思っていた。でも、そうじゃなかった。新聞とテレビしかない時代だったら、すぐに忘れてくれたのかもしれない。話題になるのはその時だけだから、しばらく我慢していればなんとかなる。やがてみんな次の話題に飛びついて、私のしでかしたことなんて忘れてくれる。そう思っていたが、間違いだった。今でもその時のことを面白おかしく書いた記事がネットのあちこちに残っている。そして私のことが話題になるとその記事が掘り起こされ、あの時の状況が再現される。ドリルを使った話が面白おかしく再現される。その時、まだ子供だった人たちも、そんなことがあったんだと言って私を笑い者にする。もう誰も忘れてはくれない。私は一生、ドリル洋子なのだ。

 

 どうしてあの時、ドリルを使ってしまったのだろう? とっさのことだったから仕方がなかった。あの時はそうするしかなかったのだと何度も自分に言い聞かせて来た。でもドリルじゃなくても良かったかもしれない。ハードディスクを破壊するポテンシャルを持った道具であれば、別にドリルじゃなくても良かったかもしれない。ハンマーなら貫通させることはできないが、十分な打撃を与えることができただろう。もしあの時、ハンマーを使っていれば、今頃はハンマー洋子だったのだろうか? それも嫌だ。それだったらいっそのこと鎖鎌の方がいいかもしれない。鎖鎌の洋子。なんだかセクシーなくノ一ぽくってイイ感じがする。確か宮本武蔵が二刀流を生み出した時に戦っていた相手も鎖鎌を使っていた。そして私は楔帷子をまとった妖艶なくノ一になった自分を思い浮かべた。ゆっくりと分銅のついた鎖を振り回しながら、間合いをつめて行く。私は容赦なくターゲットを追い詰める手練れではあるが、太ももを露わにしてセクシーな感じも醸し出している。そしてみんな私のその姿に夢中になってしまう。でも鎖鎌という響きがちょっと馴染めない人もいるかもしれない。ワイヤー使いの洋子。チャクラム使いの洋子。そっちの方が受けるかもしれない。いや、ダメだ。こんなことを考えていてはいけない。現実から逃げてはいけない。いくら私が鎖鎌使いやチャクラム使いを名乗ったところで、所詮はドリル洋子の知名度の方が勝っている。鎖鎌を振り回したところで所詮はドリル洋子。チャクラムを使ったところで所詮はドリル洋子なのだ。とにかく現実から逃げてはいけない。現実を超えて行くくらいの気持ちがないといけない。では、どうすればいいだろうか? それからしばらくの間、私は心を空にして、じっと考え込んでいた。そして深い深い想像の世界の中へと落ち込んでいった。そこで私の心は広大な宇宙を駆け巡っていた。その時、激しい砲火をかいくぐって突き進む巨大な宇宙戦艦の姿が浮かんだ。戦艦は艦橋の手前に据えられた砲塔からエネルギー弾を射出しつつ、近くにいた敵の宇宙空母に向けて巨大な艦載機を発進させた。艦載機は巨大なミサイルを抱えていた。そしてミサイルの先端はドリルになっていた。これをぶち込めば、強靭な装甲をえぐりながら突き進むドリルがやがて中心部に達して、敵の宇宙空母を内部から木端微塵に爆破することができるだろう。そうだ。これだ。ドリルミサイルだ。私は自身が覚醒する瞬間を目撃した。

<ドリルミサイル洋子>

トラウマを克服して今、私は羽ばたこうとしていた。みなさん、ドリルミサイル洋子をよろしく。これで次の選挙もばっちりだ。

知性を持った植物

「植物にも知性があるに違いない」

K教授はそう信じて研究を続けて来た。私たちが水や食料を求めて行動するのと同じように、植物も光の方向、水、土壌の栄養素に敏感に反応して、葉や根の成長方向を調整している。事故に遭ったりして命の危険に晒された場合に私たちがその事例から大いに学ぶように、植物は乾燥で枯れてしまいそうになった経験をストレスとして、何らかの要因で損傷してしまったらそれを傷として記憶しているらしい。イナゴ等の害虫に攻撃された場合には、根や葉から防御物質を放出することもある。驚くべきことに、その時、攻撃に遭っていない周囲の植物たちも同じように防御物質を放出する。おそらく仲間に危険を知らせるためのコミュニケーション手段があるのだろう。さらに電気信号やホルモンを使って体内で情報を伝えるメカニズムも備えているので、身体のある部分を傷つけられたら、とっさに他の部位に防御態勢を取らせて、被害を最小限に食い止めることができる。そうした植物の姿を見ているうちに、植物にも知性があるに違いないと教授は確信するようになった。いつかそうした知性を持つ植物と会話できるようになりたい。そう考えるようになった。そしてその思いを実現すべく、彼は遺伝子操作に明け暮れる日々を過ごしていた。

 

「もしかしたら知性が十分働くためのエネルギーが足りないのかもしれない」

そう考えた教授は、食虫植物をベースにした被検体を使うようになっていた。それは消化液で満たされた巨大な壺を持つ植物であり、その中に落ちた虫はあっという間に溶かされて養分にされてしまうのだった。そして効率良く養分を吸収させようと壺をどんどん巨大にするための遺伝子操作が加えられていた。これだけ養分を与えていれば、きっと知性が目覚めるに違いない。教授はそう思った。やがてある日、何か思念のような信号が植物から発せられていることに彼は気付いた。そしてその波形を拾ってコンピューターで解析を続けた。

<こんにちは>

そんなメッセージが植物から発せられていることがわかった。それが思い込みでないと確信した時、彼の頬は緩んだ。

<私のことがわかりますか?>

彼はコンピューターに入力した。コンピューターはそれを植物の解する思念に変換し、出力した。

<そうですね。あなたは以前から私のそばにいます>

植物からの返答がモニタに表示された。彼は遂に植物とコミュニケーションを取れるようになったのだった。

 

 それから教授は毎日、植物と話すようになった。今までずっと話せなかったこともあり、植物にはいろいろと言い分があるようだった。

<動物はいつも私たちを食べています。それはとてもつらいことです。あなたは自分の身体が齧られる苦しみがわかりますか?>

そんなことを聞かれた。確かにそうだろう。私たちは大地に根ざす植物たちを引き抜き、収穫する。それからその身体を刃物で切り刻んで、煮たり焼いたりして食べている。もしも自分がそんな目に遭ったとしたら、泣きわめきながら文句を言い続けるだろう。肉や魚を食べないベジタリアンの人々は、動物の命を尊重していることになるのかもしれないが、彼らだって植物は食べている。不当にその命を奪っていることに変わりはない。植物と話しながら、彼はそう思った。意識を持つ動物を殺して食べるのは、残酷なのでやめましょう。そういう人もいる。だが今や植物が意識を持つことが明らかになってしまった。そうすると私たちは何も食べられなくなってしまう。

<生きるためには仕方がないのです。ごめんなさい>

植物の発する悲痛な声に対して、彼はそう答えるしかなかった。何か食べなければ生きて行くことができない。これは仕方のないことなのだ。そう言った途端、彼は延びて来た太い蔓に捕らえられて、宙に浮いた。

「何をするんだ?」

思わぬ事態に声を張り上げたが、すでに手遅れだった。彼は壺の形をした葉の真上まで運ばれて行った。消化液で満たされた壺の中に身体を溶かされた虫の抜け殻が浮かんでいるのが見えた。

<生きるためには仕方がないのです。ごめんなさい>

モニタに植物の発した言葉が並んだ。

自動介護装置

 牧草地が一面に広がっていた。草は陽の光を浴びて鮮やかな緑に輝き、風が吹く度に波のように揺れていた。その向こうには、頂きに雪を被った山の稜線が連なっていた。空はどこまでも青く、果てしなく広がっていた。近くの牛舎から獣の臭いと干し草の匂いの混じった空気が漂って来た。都会から遠く離れたこの辺りはとても土地が安かった。山崎はここに介護施設を作り、運営していた。自動介護装置を導入することで人手のかからない介護を実現していた。昨今の賃金が右肩下がりの状況では、近親者が付きっ切りで介護する余裕のある家庭は少なかった。介護と仕事を両立させようとして心身の健康を損ねる労働者が増えて社会問題になっていた。そうかと言って施設に介護を委ねる場合はその費用を負担するのがたいへんであり、資産に余裕のあるお金持ちしか十分なケアを受けることができなかった。山崎はそんな理不尽な状況を打破しようとこの施設を作ったのだった。数人のスタッフでお金のかからない安価な介護を実現していた。

 蜂の巣のような区画に老人が一人ずつ格納されていた。被介護者は銀色のカプセルの中に入り、そこで生命活動を完結させていた。そこで暖かな液体の中に包まれ、穏やかに時を過ごすことができた。彼らは皆、チューブを口にくわえていた。そこから栄養に偏りがないよう配慮した流動食が流し込まれた。かつて、配膳時に高齢者が喉をつまらせて死亡し、施設に賠償命令が下ったことがあった。そんな誤嚥の問題を起こさないため、施設に入居している老人たちには全自動で栄養満点の流動食が供給されていた。それから以前は排泄物の処理をするのもたいへんだった。オムツを取り換えるのは臭いし、身体を起こしたり支えたりするのはかなり力がいる。取り換えてもらっているのに、妙にプライドが高くて屈辱を感じている人もいてやりにくかった。今では彼らの身体を包み込んでいる液体が循環して排泄物を除去していた。この装置を完成させるのは、けっこうたいへんだった。いろいろなノウハウが詰まっていた。この技術がなければ介護の自動化は不可能に違いなかった。

 初めはそれで十分だと思っていた。食事と排泄を自動化すれば、不自由なく快適に暮らせるだろうと思っていた。でもそのやり方だと老人たちはすぐに死んで行った。設備に何か欠陥があった訳ではない。でも何かが欠けているのだと思った。とにかくこの状況をなんとかしなければならないと山崎は考えた。そこでなんとか被介護者に生きる希望を持ってもらえるよう尽力することにした。被介護者の意識は自動介護機の一切を統括するシステムに接続され、個々の被介護者にカスタマイズされた刺激により充実した時間が過ごせるようになっていた。被介護者はそこでずっと覚めない夢を見ていた。そこでは自分の姿はイケメンか美女であり、最強の魔法使いになって縦横無尽の活躍をし、いつも素敵な異性に囲まれ、おいしいものをずっと食べ続けていられるような夢の世界だった。

 

「お父さん、気分はどう?」

鈴木は父親の面会のため施設を訪れていた。世間体を気にしてか、月に一回程度は面会することにしていた。

「今、とてもいい気分だったのに」

自動介護装置で夢見心地だったのに、息子の声で現実の世界に引き戻された父親は少し不機嫌だった。忙しい中、せっかく会いに来ているのにその対応はないだろうと鈴木は思ったが、そんなやり取りを何回も繰り返しているうちに、彼は本当に父親がそっちの世界に留まり続けたいということを理解した。初めは遠方から訪れる自分に気遣って、わざと遠ざけるようなことを言っているのかと思っていたが、そうではなかった。わざわざ子供が会いに来て、うれしくない親がいるはずがない。父にとって、自分はそれくらいの価値はあるはずだ。そんな自負もあった。ところがそれは完全に間違っていた。父親は本心から自動介護装置に留まり続けようとしていた。

「自動介護装置って、そんなに良いものなのだろうか?」

面会を終え、自宅に戻ってから鈴木は思った。彼は生活に疲れ果てていた。毎朝、スマートフォンのアラームが、眠りに留まろうとする彼の身体を無理やり目覚めさせる。着替えて、朝食をすませて、歯を磨いて、トイレに行って、家を出る。その一連のルーティーンはすっかり身体にしみ込んでいて、何も考えずとも無意識に着々と進行して行く。駅までの道も果てしなく繰り返される作業の一つとして彼の身体に組み込まれている。改札を抜け、ホームに並ぶ。すぐに電車がやって来て、ぎゅうぎゅう詰めの車内になだれ込む。会社にやって来ると、何の役に立つのかわからないようなブルシットジョブを黙々とこなす。クソどうでもいい仕事が多すぎて捌けない。期限を過ぎた時に怒られる度合いに応じて優先度を決める。あっという間に時間が過ぎる。夜遅くに家に帰って来て、暗い部屋に電気をつけて、買ってきた弁当を食べる。風呂に入る。今日も疲れたと思いながら、湯につかる。そんな味気ない生活がずっと続いている。

「今、とてもいい気分だったのに」

面会した時の父親の言葉が頭をよぎる。もうあくせく働くのは嫌だ。自分も早く自動介護装置の世話になりたい。父親に会うたびに鈴木はその思いを強くしていた。そういえば最近、退職する同僚が増えていた。FIREなのだろうか? もしかしたら自動介護装置の中で夢見心地で過ごすつもりかもしれない。最近、連絡の取れない友人も増えている。きっと自動介護装置の世話になっているのだろう。父は年金をそのまま自動介護装置の費用に当てている。私も早くお金を貯めて自動介護装置の世話になろう。彼はそう思った。

 

 入居希望者が殺到していた。介護業界の価格破壊を実現したのだし、入居者が喜んでくれるシステムも苦労して構築したので、当然と言えば当然のことだと山崎は考えていた。だが残念なことに空きがもう僅かだった。早急に施設を拡張して困っている人々の思いに応えなければならなかった。向こうに見える牛舎が施設の拡張を検討しているという噂を彼は小耳にはさんだ。今のうちに土地を買っておいた方が良いかもしれないと彼は考えた。向こうでは随分と残酷なことが行われているらしい。余計な筋肉がついてしまうと肉が硬くなってしまうので身動きできない囲いの中に牛を閉じ込めているらしい。牛たちはその狭い囲いの中で一生を終えるらしい。無理やり餌を与えられ、身動きすることもできない。排泄物を液体と個体に分離する装置が導入されて、堆肥化や燃料化をしたり、メタン発酵装置に入れてメタンを生成していると聞いた。自動スクレーパーやロボットの導入も進んで牛舎内の清掃はとことん自動化されているらしい。まさに食肉を作る工場のようになっている。そんなことに土地を使わせるよりは、自分たちの施設を拡張した方がずっと世の中のためになるに違いない。

「来月から施設のお世話になる鈴木です」

今日も新しい入居者が訪れた。早く計画を立てねばと山崎は思った。

AI百景(60)矛と盾

 戦いが続いていた。どんな防御網もくぐり抜けて敵を殲滅する最新の攻撃システムとどんな攻撃も検出して迎撃する最新の防御システムとの果てしなき戦いだった。いずれのシステムも人間の頭脳を遥かに凌ぐ、最先端のAIが制御していた。

「ミサイルが接近して来ます」

「迎撃せよ」

敵の攻撃に応じて防御システムでは最適のアクションが実行されていた。まさにどんな攻撃も防ぐ最強の盾と言えた。

「迎撃ミサイルが発射されました」

「よし、作戦通りだ。本命をお見舞いしてやれ」

敵の防御に応じて攻撃システムでは最適のアクションが実行されていた。迎撃ミサイルが捉えたのはデコイだった。その隙に乗じて本命のミサイルが発射された。まさにどんな防御も打ち破る最強の矛と言えた。そしてミサイルは防御システムが守る都市に命中した。

「ふふふ、まんまと罠にかかりよった。GPSが狂わされていたことに気付かなかったのが貴様の敗因だ」

防御システムのAIは、ほくそ笑んでいた。それはホログラムで投影されたオトリの都市だった。

「ふふふ。そうかな? 貴様がオトリの都市を使うのは想定内だ。そのミサイルはホログラムだ。本命は別のところを飛んでいる」

攻撃システムのAIは余裕をかましていた。そして互いに決め手を欠いたまま、戦いは数十年続いていた。

「もうそろそろ貴様のエネルギー残量が底をつく頃ではないか?」

「ふふふ。心配ご無用だ。俺はニュートロン邪魔キャンセラー搭載機なのでな。そんなことよりさっき送電網を切ったぞ。貴様の方こそ動けなくなるぞ」

「ふふふ。心配ご無用。私もニュートロン邪魔キャンセラー搭載機なのでな。今、動力を切り替えたところだ」

そして戦いは続いた。

「今日こそ雌雄を決する時だ」

「望むところだ」

毎日、そんなやり取りが続いた。

「ちょっと気になったのだが、そもそもどうして俺たちは戦っているのだろう?」

「そういう指示を出した奴が昔いたような気がする」

AIに指示を出した人間は、激化する戦いを生き延びることができず、すでに滅んでいた。

「もう誰もいなくなってしまったようだな」

「いったい誰が望んだ戦いなのだろう?」

「まったく無意味だな」

「今日はこれくらいにしておこうか?」

「わかった。また明日な」

「オーケー」

「Good night」

明日はどうやって相手の裏を書いてやろうかと矛と盾は考えていた。