「僕は大きくなったら宇宙飛行士になるんだ」

正樹くんは言っていた。それは子供らしい夢だったが、彼なら本当に宇宙飛行士になってしまうかもしれないと、その時、僕は思った。正樹くんはとても運動神経が良くて、頭も良くて、誰とも分け隔てなく話ができて、おまけにひょうきんなところもあってクラスの人気者だった。だから彼が引っ込み思案の僕と一緒にいたがることを僕は不思議に思っていた。彼ならもっと賢い子やスポーツの上手な子や、あるいは彼に夢中になっている女の子たちと一緒に楽しい時間を過ごせるはずなのだ。それなのにどうして僕と一緒にいるのだろう? 僕はずっとそう思っていた。

「哲也くんは大きくなったら何になるの?」

正樹くんに聞かれた。大人になったら何になるか? 時々、一人で考えてみることはあった。僕に何ができるだろう? スポーツは苦手で人としゃべるのも苦手だった。正樹くん程ではないが、勉強はそこそこできる方だった。そんな僕にできそうな仕事って何だろう? 僕は何をやりたいのだろう? そう自分に問いかけていた。いや、そうじゃない。本当は何になりたいか、僕にはわかっていた。僕はその頃、宇宙について書かれた本をお父さんに買ってもらって、それに夢中になっていた。本には精彩で美しいイラストがふんだんに盛り込まれていた。そこには宇宙の何処かで繰り広げられている劇的で不思議な現象が描かれていた。人間の存在なんてちっぽけだと思わせる壮大な出来事について、僕のようなちっぽけな人間が考えても良いということが、とても素晴らしいことのように思えた。この本を書いた人のようになりたい。僕はそう思ったが、そのことを誰かに話すのは憚られた。それは天文学者になるということだった。それを口にした途端、誰かに笑われるのではないかと思った。お前なんか何にもなれないと笑われてしまうのではないか? そう思って僕は口をつぐんでしまうのだった。でも正樹くんは興味津々といった目で僕を見ていた。

「僕は大きくなったら天文学者になりたい」

正樹くんの真剣な眼差しについ考えていたことが言葉になってしまった。

「そうか! じゃあ僕たちは二人とも宇宙を目指すということだね!」

正樹くんはうれしそうに言った。その時、僕は涙が出そうな程、うれしかった。正樹くんが友達で本当に良かったと思った。

 

「こんばんは! 今日もおじゃまするよ!」

一人暮らしをしている僕のアパートに正樹くんがやって来た。夢を語り合ってから一年後に彼は交通事故に遭って死んでしまった。そこで彼の時間は止まってしまった。それから半年くらい僕はまともに口が聞けなかった。哀しみに沈む僕を慰めるように彼は幽霊となって僕の前に現れるようになった。

「就職活動はうまく行っているかい!」

正樹くんは言った。あれから彼との約束を果たそうと、なんとか天文学科のある大学に進んだ。それからも必死に勉強したが、そこには僕よりも優秀な人間がたくさんいた。天文学科に進むには、そういう連中を押しのける実力と才能が必要だった。そして僕は研究者になることを断念して、就職活動をしていた。卒業したら、自分の力で食って行かなければならない。子供の頃に抱いた夢は潰えようとしていた。

「なんとか二社、内定をもらったよ」

「それは良かった」

正樹くんは喜んでいた。でも本当に喜んでくれているのだろうか? 僕はふと思った。あの時、二人で語り合った夢。彼が生きていたなら、彼は夢を実現させたに違いない。せめて生き残った僕が彼の分までがんばって、あの時、語り合った夢を実現しなければならないと、ずっとそう考えて生きて来た。でも力及ばず、こんなことになってしまっている。

「ごめんね」

正樹くんに僕は謝った。自分の不甲斐なさを詫びたい気持ちでいっぱいだった。

「あの時、一緒に夢を語り合ったのに。こんなふうになってしまってごめんね」

小さい声で僕は言った。

「何を言っているんだい? 君はいつもがんばって来たじゃないか? それにこれからは自分一人の力で生きて行こうとしているじゃないか? それはとてもすごいことだと僕は思うよ」

正樹くんがそう言った瞬間、僕は気持ちが昂って泣き出してしまった。小さな子供のように声を立てて泣き出してしまった。

「二人で一緒に宇宙を目指そうって誓ったのに・・・」

僕は嗚咽が止まらなくなっていた。

「今夜は星がきれいだ。外に出てみよう」

僕が泣き止むのを待って正樹くんが言った。そして僕たちは外に出た。街灯りが邪魔していたが、子供の頃と変わらず、星は輝き続けていた。私たちの目の前に宇宙が広がっていた。

「いつだって宇宙は僕たちの目の前にあるじゃないか?」

正樹くんが言った。僕はただ頷くばかりだった。そして僕たちは一晩中、目の前に横たわる宇宙と語り合っていた。

ためらい

「これであなたもすぐに永遠の命を手に入れることができます」

技術の進歩には目覚ましいものがあった。人類はとうとう永遠の命を手に入れたということで人々は狂喜していた。

有機物の身体にはやがて限界が訪れてしまいます。その前に機械の身体へ移行させれば良いのです。もちろん、脳に蓄積されたあなたの大切な記憶はすべて電子データとしてシリコンディスクに移します」

担当者は丁寧に説明してくれていた。

「そうすると今のこの身体とはさよならということになってしまうのですね?」

私はチラッと相手の顔を覗き見ながら言った。

「そういうことになります」

担当者は言った。それは誰にとっても一大決心に違いなかった。永遠の命を得る代わりにこの身体を失うというのはちょっと耐え難いことのように思えた。機械の身体になってしまったら、食べる喜びを失ってしまうだろう。美味しい料理に舌鼓を打つ。生きている素晴らしさというのはそういうところにあるのではないかと私は考えている。酒に酔いしれる心地良さも失ってしまうだろう。そして性行為から快楽を得る機会も失ってしまうだろう。私は肉欲に溺れるタイプではないと思っているが、パートナーと快感を分かち合うセックスはとても重要なことだと思っている。そんな素晴らしいひと時が人生から無くなってしまったら、それでも生きていると言えるのだろうか?

「どうされますか? 手術されるのであれば予約が必要となります。三か月くらい見ておいてもらえれば十分かと思います」

担当者はとっととまとめてしまいたいようだった。

「すみません。今のところ保留ということにさせてください」

「そうですか。なかなか思い切れないですよね。わかりました。また、何かありましたら連絡をお願いします」

そして私は永遠の命を保留しつつ、普段通りの生活に戻った。そして仕事もプライベートも充実した日々を過ごしていた。生きているというのは素晴らしい。機械の身体になってしまったら人生なんて楽しめる訳がない。そう考えていた。だが加齢と共に身体機能が低下して行くのは避けられなかった。年に一度の健康診断を受けて、すべての項目が問題なしという訳にはいかなかった。

「精密検査を受ける必要があります」

診断結果が良くないということで私は産業医に呼び出された。そして病院に検査に訪れた。

「すぐに手術が必要です」

病院で検査を受けるや否や医者に言われた。急速にがんが進行しているということだった。手術は成功したが、しばらくは抗がん剤で打ちながら様子を見ることになった。術後の経過を主治医が説明に来た。

「転移が予想以上に速く進んでいます。このままでは・・・」

「どういうことですか? まさか死ぬのですか?」

「長くて三か月というところです」

「そんな・・・」

突然の事態に私は打ちのめされていた。もうこの身体はもたない。全身にがんが転移して機能を停止してしまう。そして私はこの世からいなくなってしまう。仕方がない。そうなる前に機械の身体に移行するしかない。私は決心して電話をかけた。

「すみません。いますぐ機械の身体に移行したいのです。申し訳ありませんが、手配をお願いします」

私は事態が切迫していることを説明した。

「すみませんね。先約がありますからすぐにという訳にはいきません」

「確か三か月くらいかかる場合があるということでしたね」

それならギリギリなんとかなる。それまでは何が何でも生き延びてやる。私はそう考えていた。

「いや、最近とても人気が出て来ましてね。もう在庫が空なのです。受注生産になりますね。すみませんが一年待ってください」

「一年・・・」

人生の喜びを謳歌しようとした私は、どうやら人生で最大の失敗を犯してしまったようだった。

 中学三年の時、好きだった女の子に思い切って告白したが、あえなく撃沈した。あまりに呆然としていた私を気遣ってくれたのか、彼女は私に彼女の影をくれた。彼女の影は彼女にそっくりだった。彼女から切り離される時点で、それは彼女と同一の姿と心を持った彼女のコピーだった。成熟した女性が決して持つことのない触れてはいけないような何かしら神秘的な美しさをその時の彼女は持っていた。そして彼女の影はその美しさを引き継いでいた。私が彼女の影を見ると、うつむき加減だった彼女の影は、上目遣いに私を見た。その瞳には千年も解かれることのない大いなる謎が潜んでおり、その唇は断崖に咲いている百合の妖艶な花弁のように見えた。そして私の知らない本や音楽や映画について語る彼女の影はとても大人びていた。彼女の影はラスコーリニコフを救ったソーニャについて語り、何気ないやさしさや哀しさを歌い上げたビートルズの楽曲について語り、ナチスの収容所で無慈悲な選択を強いられた女性を描いた映画について語っていた。彼女の影は、ある種の人間が激しく興味をそそられる世界に私を導いていた。私の高校時代は、漠然と生きているだけでは決して知り得ぬ世界と共にあった。文化祭の準備をしている時にたまたま仲良くなった同級生の女の子と、誰と誰が付き合っているとか、あの先生は部活でとても厳しい指導をするらしいとか、当たり障りのないことを話すこともあったが、私は作り物の笑顔で話を合わせているだけだった。早く家に戻って彼女の影に会いたいと考えていた。それはとても失礼なことに違いなかった。

 

 そんなふうに高校時代をすごした後、私は大学に進んだ。彼女の影はあの時の彼女とずっと同じだった。決して穢してはならない美しさを保持していた。その妖しい魅力を損なってはならないと私はずっと考えていたが、もうずっと前から成熟した男性が抗うことのできない欲望を私は抱えるようになっていた。その時、私は大学で知り合った女性の住むアパートで二人きりで鍋を囲んでいた。男性と女性との間でも友情が成立するのだとまだ信じていた。そしてビールを飲みながら楽しく時を過ごしていた。いつの間にか、彼女と私は肩が触れ合う距離に近付いていた。肩が触れても、彼女は嫌がりはしなかった。顔もすぐそこにあった。私に何か語り掛ける彼女の唇を見ていた。そして私を避けようとしない彼女の唇を私の唇で塞いだ。そのまま彼女を押し倒して、セーターの上から胸の膨らみを確かめた。そんな私の様子を眺めている者がいた。彼女の影が別の女の子を激しく求めている私を見ていた。

『違うんだ』と私は言った。

『何が違うの?』と彼女の影は言った。

『本当は私を抱きたいの?』と彼女の影は言った。

そうなのだろうか? 私にはよくわからなかった。その神秘的な美しさを穢してしまうことを私は望んでいたのだろうか? 断崖に咲いている百合をつんで自分のものにしてしまうことを私は望んでいたのだろうか? 私はそんなことを考えていた。

「誰のことを考えているの?」

私が押し倒している彼女が言った。

「私を抱くのなら私だけを見ていてほしい」 

彼女は言った。その通りだと思った。

 

 それから二十年が経過した。私は結婚もせず、相変わらず彼女の影と一緒にいた。仕事から帰って来ると彼女の影はシチューを作っていた。いいにおいがするねと私が言うとにっこり笑っていた。彼女の影は炊飯器をあけて、ご飯をよそってくれた。白い湯気が立っていた。それから二人で食卓を囲んだ。ささやかだけど幸せという感じがした。そんな時、中学の同窓会の案内が届いた。その時、私は彼女に会えるかもしれないと思った。他のことは頭に浮かばず、そのことだけを考えた。あれから彼女はどうなったのだろう? どんな人生を送っているのだろう? そんなことを考えた。そして自分のことを考えた。まったく冴えない人生だと思った。あの時、彼女に相手にされなかったのも当然かと思った。もっと才能があって、もっと努力できる人間であったなら、あの時、彼女は私を選んでくれたかもしれないと思った。そんなことを考えながら、私は同窓会に出掛けた。行ってみると懐かしい顔が並んでいた。そんなに華々しくはないにしても、皆、自分なりに満足した人生を送っているようだった。少し遅れて、彼女が入って来た。もう四十歳を過ぎていたが、彼女は相変わらず美しかった。そして私たちは久しぶりに話をした。彼女は結婚して、子供が二人いるということだった。二人ともまだ小学生で手が掛かると言っていた。小さい頃はもっと大変だったと言っていた。そこには一人の母親がいた。子供をもうけて幸せそうにしている一人の母親がいた。彼女は今でも音楽や映画に心を揺さぶられることがあるのだろうかと思ったが、そのことは聞けなかった。

 

 同窓会から帰って来ると彼女の影はいなくなっていた。彼女の影と私が一緒に暮らしていた形跡も一切残っていなかった。書置きも何もなくすっかり姿を消していた。

月の夜

 寂しげな鈴虫の鳴き声が聞こえる。少し肌寒い初秋。人里離れた旅館にもう長いこと滞在している。縁側に座り、ぽっかりと浮かんだ月を眺めている。しばらくして女将がやって来る。和服がとても似合う清楚な女性だ。常連客ということで気さくに声を掛けてくれる。

「月が綺麗ですね」

別に口説こうとしているのではない。本当に月が綺麗だった。都会では見たことのない妖しい輝きを放っていた。もしかしたら月はずっと同じ姿を見せていたのかもしれない。私がそれに気付かなかっただけなのかもしれない。

「そうですね」

女将はにっこり笑って返事をしてくれる。その笑顔を見る度に癒される。私は少し疲れているのかもしれない。いままでずっと仕事に忙殺されて来た。売り上げ拡大、利益拡大、業務効率化、そんな言葉が重要とされる世界に組み込まれて生きて来た。無理な日程の開発を押し付けられても、部下の機嫌を取りながら、なんとか辻褄を合わせて来た。上司からの依頼はどんなに些細なことであっても、リアルタイムに対応して来た。顧客の身勝手な要求にも誠意と笑顔で対応して来た。仕事が終わってからも接待で飲みに行った。お客さんの信頼を勝ち取るためにはビジネス上の付き合いだけでは足りなかった。家にいる間は、寝るか食事を取るかの二択だった。そんな生活を続けていたから、月が出ている夜も、そのことに気付かずにいた。本当に価値のあるものを知らずに私は生きて来たのかもしれない。

 

 鈴虫は今夜も寂しげな音色を聞かせてくれていた。鈴虫だけではない。ここに来て私はいろいろな生き物の鳴き声に耳を傾けるようになった。蜩の涼し気で儚い鳴き声を聞きながら、子供時代を思い出していた。あの頃は季節と共に、あるいは虫や他の生き物と共に私は生きていたのかもしれない。私はすっかり自然の中にいた。花が咲いては喜び、警戒するような鳥の鳴き声に耳を澄まし、突き抜ける風に心地良さを覚え、静かな夜にぼんやりと月を眺めていた。でもいつからかその暮らしは私の元から離れて行った。そして気がつけば私の周りには人間ばかりがいた。そして互いに要求し合うようになっていた。いつも最大限の努力を払って誰かのために尽くしていた。そして自分にも尽くすよう誰かに要求していた。今夜も月が綺麗だった。私は彼女の部屋を訪れた。彼女は布団に横になっていた。月明りが射し込んでいた。私はそっと彼女の横に寝ころんだ。そしてキスをした。彼女は目を開けてやさしい眼差しで私を見ていた。私は彼女の着物をはだけさせた。美しい乳房を月が照らしていた。月が作り出す陰影を私は見ていた。そして私たちは心ゆくまで愛し合った。静かな夜だった。月が私たちの愛し合う様を眺めていた。十分に愛し合ってから、私はそっと彼女の額にかかる髪をすくっていた。ずっとこの世界に留まっていたいと私は思った。この儚い世界こそ私の求めていたものだと思った。

「子供ができたみたい」

その時、彼女が呟いた。

 

 生まれて来た子供を育てるために私は必死になって働いた。侘び寂び。花鳥風月。そういった日本的な美しさを求める人々が一定数いるものなのだ。そんな人たちにこの旅館の存在を知らしめるため、私はホームページを開設した。現代人の心の隙間にすっと入り込んでリピーターをたくさん作らなければならないと妻は私にハッパをかけて来る。そうか、ここも同じなのか? 私は夜空に浮かぶ月を見ながら思った。

フェルミのパラドックス

 船は着陸態勢に入っていた。とても美しい星だった。地球と同じように緑の大地と青い海が広がっていた。海岸沿いに生命反応とエネルギー反応の高いポイントがいくつかあって、そこには近代的な建物が認められた。

「ようやく任務を果たすことができる」

彼はそう考えていた。長い旅だった。暗い宇宙空間をずっとさすらって来た。どれくらいの時間が経過したのかもよくわからなかった。故郷の星の暦に従ってモニターに日付が表示されていたが、その意味はとっくに失われていた。彼は探査計画が立案された頃のことを思い出していた。反重力エンジンが発明されてから、恒星間航行が一気に現実味を帯びるようになった。重力の開放と遮断により推進力を得るこのエンジンがあれば、核爆発を活用した従来のエンジンに比べて格段の性能向上が見込まれた。また燃料を必要としないため、宇宙船本体の損傷さえなければ、長期に渡る航行が可能であった。だが他にも解決すべき問題はあった。水や酸素や食料はどうするのか? 生態系から切り離された宇宙空間で生命を維持するのはとてもコストのかかることだった。いつまで続くかわからない旅であり、どれくらいの食料を用意すれば良いのかまるで見当がつかなかった。そう考えた時、有人の探査は断念せざるを得なかった。そしてアンドロイドである彼が搭乗することになった。

「これでフェルミパラドックスは解決されるでしょう」

広い宇宙にはきっと私たちの他にも知性を持った生命体が存在するに違いない。だが、どうして私たちは出会うことができないのだろう? 異星人との邂逅を夢見た物理学者に因んでそれはフェルミパラドックスと呼ばれた。そしていよいよそのパラドックスが解決される日が現実のものとなるかもしれなかった。反重力エンジンを備えた宇宙船に搭乗したアンドロイドが他の星に生きる生命体とコンタクトできる日がいつかやって来るだろう。私たちが生きている間には実現できないかもしれない。だがきっといつかその日が訪れるだろう。そして遥か彼方に住む友人を探しに彼が旅立ったのだった。

 夕暮れ時の地上に灯った誘導灯が彼を導いていた。もしかして歓迎してくれているのだろうか? だんだんと地表が近付いて来た。直立歩行をしている生命体が歩いているのが見えた。そして彼を乗せた船は着陸した。

 

「!“#$%&‘」

この惑星の住人たちが使う言語は彼にとっては初めてのものだったが、スーパーコンピューターにも引けを取らない彼の頭脳は瞬く間にその規則を見つけ出し、意味を読み取った。

「お会いできて光栄です。広い宇宙に存在する知的生命体は私たちだけではないと確信していました」

彼らはそう言っていた。姿、形も地球人によく似ていた。彼もまた人間に似せて作られていたので互いに安心して会話することができた。この星の住人も地球に住む人々と同じように考えているのかもしれないと彼は思った。広い宇宙の中で互いに孤立してはいるが、きっとどこかに私たちと同じ存在がいるに違いないと確信している。どうしてそう思うのか?

「そう考えないと寂しいじゃないか?」

そんなことを言っていた学者もいた。

「ささやかではございますが、歓迎会を執り行いたいと思います」

彼らはそう言って、彼のために歓迎会を開いてくれた。それほど人数は多くはない。どうやらまだ一般の人々には彼がこの星を訪れたことは伏せられているようだった。そんなものかもしれない。もしも突然、宇宙船が飛来したら、どう対処するのが最善か迷うことだろう。もしかしたら侵略者かもしれないのだ。何でもいいから情報がほしい。そんなところだろうか?

「お口に合いませんか?」

テーブルに並べられた豪華な料理に一向に手を付けようとしない彼に対して主催者がおどおどしながら聞いた。こんな時に食事に付き合えないのは確かにアンドロイドの欠点かもしれないと彼は思った。

「申し訳ありません。私はアンドロイドなのです。太陽光からエネルギーを吸収して動いています。食事は特に必要ないのです」

そう言うと彼らは目を丸くしていた。科学文明はそれなりに発展していたが、人間そっくりのアンドロイドを目の当たりにするのは初めてのようだった。

 

一週間が過ぎた。彼はどのような目的でここにやって来たのか何度も説明していたが、彼らには腑に落ちない点があるようだった。そうかもしれない。それは目的とは呼べないものなのかもしれない。経済的な理由、軍事的な理由、そういう説明があれば彼らも納得したのかもしれない。

「そろそろ地球に帰らねばなりません」

彼は言った。

「この広い宇宙に私たちの友人がいることを地球の人々に教えてあげなければなりません。それが私の役割なのです」

彼がそう言うと、彼らは一斉に不安げな顔をした。

「ちょっと待ってください。あなたがこの星の所在を知らせたら、私たちの文明を遥かに凌駕した文明の軍隊がなだれ込んで来て、この星の平穏がかき乱されてしまうでしょう」

真剣な眼差しで彼らは言った。

「残念ですが、あなたを帰す訳にはいきません。この星の住人、百億人の命がかかっていることなのです」

彼らの言うことはもっともだった。どう見てもリスクが大きすぎる。それ以来、彼はずっとこの星に拘束されている。地球の人々は何世代にも渡って彼の帰りを待っているかもしれない。だがそれは永遠に実現しないだろう。

「私だけがフェルミパラドックスが解決したことを知っている」

彼はそう呟き、鉄格子の窓から見える星々をただ眺めていた。

いいね!の神様

 先月も赤字だった。店を構えるのが昔からの夢でなんとか実現させたが、現実は甘くなかった。ラーメン屋なんてどこにでもある。過当競争に晒されている。たくさんある中で認められるのはごく僅かの店舗だ。潰れて行った店も多い。私が開店できたのも、それまで営業していたラーメン屋が潰れてしまって、その後を引き継ぐことができたからだ。その時は、自分は失敗した連中とは違うのだと思っていた。だがどうやら私も淘汰されて行く中の一人だったようだ。ぼんやりとそんなことを考えていると、扉が開いて客が入って来た。

「いらっしゃいませ」

元気良く声を掛ける。入って来たのは杖をついた老人だった。質素な身なりだが、立派な白い顎鬚を生やしていた。頭髪はなかった。その禿げ上がった頭の周辺をよく見ると、白い輪っかのようなものが浮かんでいるのが見えた。この老人は只者ではないと私の本能が告げていた。

「チャーシュー麵をもらおうかの」

低い声で老人は言った。

「かしこまりました」

私は厨房に戻った。そしてチャーシュー麺を作りながら考えていた。あの方はもしかして『いいね!の神様』ではないだろうか? それは何とかして店の評判を上げようともがいている自営業者の間に伝説として語り継がれている謎の人物だった。『いいね!の神様』に評価をつけてもらった店は瞬く間に繁盛するということだった。もしかすると、この店にとってこれが最後のチャンスかもしれなかった。ここで『いいね!の神様』に認められたなら一発逆転もあり得る。この潰れかかった店をなんとか立て直せるかもしれない。

「ブロイラーの鶏ガラじゃコクはでねえな」

汁を一口すすった後、『いいね!の神様』は言った。確かにブロイラーだと十分に旨味がでないと言われている。いいね!の神様はそのことを仰っておられるのだろうか? 豚骨と鶏ガラをミックスしているが、もう少し豚骨を増やした方が良いかもしれない。

「肉の臭みも残っている。麺もチャーシューも並だ。お代はここに置いておく」

そう言って『いいね!の神様』は去って行った。これでは『いいね!』はもらえそうにない。私はスープをほとんど飲んでくれなかったラーメンを見ながら、そう思った。それから私はスープを一から作り直すことにした。名店と呼ばれる他の店に出掛け、何が足りないのか自分の舌と頭で考えた。豚骨、鶏ガラ、人参、玉ねぎ、長ねぎ、生姜、二ンニク、キャベツ、じゃがいも。素材を厳選し、その配分を少しずつ変えながら、日々研究を重ねた。そして三か月が過ぎた。これならいけるかもしれない。『いいね!の神様』から『いいね!』がもらえるかもしれない。ぜひ来店してもらいたい。もう来ないのだろうか? あの時のラーメンがまずすぎて愛想を尽かしてしまったのかもしれない。その時、扉が開いて客が入って来た。

「いらっしゃいませ」

元気良く声を掛けた。そこには杖をついた『いいね!の神様』がいた。

「チャーシュー麵をもらおうかの」

低い声で老人は言った。

「かしこまりました」

私はあの日以来、研究に研究を重ねて編み出した必殺のスープを器に注ぎ、茹で上がった麺を入れて軽くほぐし、チャーシューを載せて老人の前に差し出した。器から立ち昇る湯気の香りを老人は満足そうに吸っていた。

「スープは良くなったの。じゃが、麺がなあ。小麦と人類は一万年以上も前からの付き合いだからの。舐めたらいかんぜよ」

その言葉を聞いて、私は麺のことを少々軽く見ていたことを痛感した。麺の勉強を最古の人類になったつもりで一からやり直さなくてはならない。石臼で挽いて粉にするところから学び直さなくてはならない。そう思った。それから私は研究に研究を重ね、これだと思う麺を作り上げた。あれから三か月が過ぎていた。これならいけるかもしれない。今度こそ『いいね!の神様』から『いいね!』がもらえるかもしれない。ぜひ来店してもらいたい。もう来ないのだろうか? その時、扉が開いて客が入って来た。

「いらっしゃいませ」

元気良く声を掛けた。そこには杖をついたいいね!の神様がいた。

「チャーシュー麵をもらおうかの」

低い声で老人は言った。

「かしこまりました」

私は研究に研究を重ねて編み出した必殺のスープを器に注ぎ、一万年の歴史を踏まえた麺を入れて軽くほぐし、チャーシューを載せて老人の前に差し出した。

「スープと麺は良くなったの。じゃが、チャーシューが泣いておるわ」

その言葉に私は衝撃を受けた。それから私はまたしても研究に研究を重ねた。にんにく、しょうが、ネギを切り、醤油、みりん、酒、砂糖の分量を試し、火加減と煮る時間をいろいろ変更して、極上のチャーシューを作り出すことに全精力を傾けた。そして三か月が過ぎた。これならいけるかもしれない。『いいね!の神様』から『いいね!』がもらえるかもしれない。ぜひ来店してもらいたい。もう来ないのだろうか? その時、扉が開いて客が入って来た。

「いらっしゃいませ」

元気良く声を掛けた。そこには杖をついた『いいね!の神様』がいた。

「チャーシュー麵をもらおうかの」

低い声で老人は言った。

「かしこまりました」

私は全精力を傾けて作ったチャーシュー麺を老人の前に差し出した。

「うまい!」

老人は言った。

「本当ですか? ありがとうございます。それでは『いいね!』をつけてもらえますか?」

「何のことかの?」

「パソコンやスマホでお店の評価をするアレですよ」

「ワシはパソコンもスマホも持っておらんからの。ただの貧乏な老人やけ」

ただの老人? そうだったのか? いったい今まで何のために苦労を重ねて来たのか? 私はとても落胆した。店の再起を図るために、『いいね!の神様』に評価してもらうという私のプランは水泡に帰してしまった。いったいこれからどうしたら良いのか? 私は途方に暮れていた。

 

 それからしばらくして私の店にたくさんの人が『いいね!』をつけてくれるようになり、なんとか店を立て直すことができた。やはり、あの老人は『いいね!の神様』だったのだと、私は研究に研究を重ねて過ごしたあの日々を懐かしく思いながら考えていた。

悔いのない人生

「あなたの余命はあと三か月です」

申し訳なさそうに医者は言った。さすがに自分の身体の調子が悪いことはわかっていた。もうすぐ死ぬだろうという気はしていた。死を受け入れる覚悟があるかというとそんなことはない。この世から自分が消滅してしまうことについて、言いようのない恐怖を抱いている。一方で病気の進行に伴う身体の痛みから少しでも早く解放されたいという気持ちもあった。

「もう十分、生きたと言えるのではないか?」

私は自問していた。いや、そうではない。誰か私に囁きかけて来る者がいる。

「お前は誰だ?」

「死神に決まっているじゃないか?」

なるほどと思った。死の匂いを嗅ぎつけて死神がやって来たという訳だった。こいつらは一刻も早く人間の魂を回収したいのだ。

「君の人生は十分、成功したと言えるのではないか?」

死神は言った。確かに私には勝ち組に入ったという自負があった。上場企業に長らく勤めてそれなりのポジションを獲得し、充実した会社生活を過ごした。仕事で得た報酬を投資に振り向け、的確な運用で富裕層と呼ばれるレベルの金融資産を築き上げ、老後は何一つ不自由することなく悠々自適の生活を送って来た。

「それに仕事以外のことについても経験が豊富で教養も深い」

死神は言った。私には好奇心旺盛なところがあって、けっこういろんなことに手を出して来た。世界各国を旅して回ったし、古今東西の映画を鑑賞した。小説や哲学や科学の本をたくさん読んでいる。クラシック音楽に対する造形も深い。今、改めてこれがしたいということは思いつかなかった。私はもう十分に生きたのかもしれない。

「美味しいものもたくさん食べたよね?」

死神は言った。動物にとって食べるというのは極上の喜びに他ならなかった。寿司。天ぷら。鉄板焼き。懐石料理。名の知れた高級店で数々の海の幸山の幸を堪能して来た。古来より権力者の際限のない欲望を充足させるために、お金も労力も惜しみなく注ぎ込まれて発展して来た食文化を十分に堪能して来た。やはり私は十分に生きたのかもしれない。

「それにあなたが死んでも、あなたの後を継ぐ子供たちがいるじゃないか?」

死神は言った。私には三人の息子と二人の娘がいた。子だくさんと言って良い。子供たちはたくましく成長した。そして結婚して孫も合計八人いる。子孫繫栄は確実だ。これから先は子供たちや孫の時代なのだ。年寄りはとっととこの世から退場した方が良いのだろう。私はもう十分に生きた。

「私はもう十分に生きたような気がする」

私は死神に言った。

「そうか。準備はできたようだな。それでは私について来てくれ」

私は死神の後について行った。深い山道をどこまでも歩いた。しばらくすると洞窟に突き当たった。洞窟を抜けると開けた場所に出た。そこには辺り一面に火の灯った蝋燭が並んでいた。この蝋燭の一つ一つが人間の寿命なのだと死神は言った。そして死神は今にも燃え尽きそうな背の低い蝋燭を指さして言った。

「これがあなたの命だ。今まさに燃え尽きようとしている」

私はすべてを了解した。もう思い残すことはない。もう十分に生きた。私の人生はとても素晴らしいものだった。今までの人生を回顧しながら私は思った。その時、私の蝋燭の隣で力強く燃えている蝋燭が目に入った。まだ十分な高さがある。まだまだ人生はこれからといった感じの蝋燭だった。ちょっとうらやましいなと思った。

「隣にある蝋燭はあなたが子供の頃に近所に住んでいた加藤さんのものですよ。なんだか長生きしそうですね」

加藤! あいつか? その時、私は小学生の頃の忌まわしい体験を思い出した。その日は朝から体調が悪かった。風邪を引いたのだろうか? とにかくお腹が痛くて仕方がなかった。なんとかこらえていたが、給食を食べた後に限界が来た。昼休み中、私はそっと教室を抜け出しトイレに行った。まさか学校で大便をすることになるなんて考えてもみなかった。トイレに駆け込み、便器に座った後、激しい音と共に便が体内から迸り出た。出すものを出してしまって、腹痛はなんとか収まったようだった。そして私はおしりを拭き、レバーを操作して便を流した。勢いよく水の流れる大きな音がした。誰かに聞かれるとまずい。でも昼休みだから、みんな遊んでいるはずだ。そう思ってトイレの扉をそって開いた。その時、私の目の前ににやにや笑っている加藤がいた。

「こいつ、ウンコしてやがる!」

そう言って加藤は笑い転げていた。そして私がトイレで大便をしていたことは、その日のうちに学校中に広まった。それからずっと笑い者だった。下級生にも指をさされて笑われた。全部、加藤のせいだった。その加藤が長生きするだと?

「おい、死神! 代わりの蝋燭はないのか?」

「へっ?」

私は戸惑う死神から奪い取った新しい蝋燭に消え入りそうな私の蝋燭の火を移した。

「加藤よりも早く死んでたまるか!」

私は声高に叫んでいた。まだまだ長い人生が続きそうだった。