地球温暖化と花咲か爺さん

 日本各地で満開の桜が見られなくなった。翌春に咲く花芽は夏に形成された後、いったん休眠に入る。そして冬になって低温にさらされると休眠から目覚めるのだが、温暖化の影響によりこの休眠打破がうまく行えず、咲き方にばらつきが生じてしまったらしい。八十パーセント以上の花がいっせいに開花しているのを見て、私たちは満開の桜の美しさを感じ取っている。咲き方がまばらであったり、葉っぱが混じっていたりすると物足りなさを感じてしまう。桜の並木道を通り過ぎる人々は、かつて求めていた美しさや儚さを見出すことのできない汚らしい葉桜を残念な気持ちで見上げていた。それから数年が経過すると誰も満開の桜を期待することはなくなった。今では一年を通して、それが桜の木であることに気付く人はいなくなってしまった。花鳥風月とか、四季のある美しい日本とか、そんな風景はもう何処にも見当たらなかった。鳥を気に留める人々が今でもいるだろうか? ゴミをあさる老獪なカラスを見て嫌な気分になるだけだ。月を見上げる人々がいるだろうか? 夜も光に溢れた都市部では月明りに気付くこともなかった。そして今、花も失われてしまった。

 この有り様を見た「花咲か爺さん」は悔しくて仕方がなかった。あの灰があったならと考えていた。ポチを埋めた場所に育った木で臼を作って、その臼を燃やしてできた灰。振りかけるだけで見事に花を咲かせた。それはポチが死んでからの一連の出来事によって生き物に必要なプロセスを凝縮した特別な灰であった。それを浴びた植物は凝縮されたプロセスを瞬時に実行する。花芽を形成し、休眠打破を行い、いっせいに開花する。ポチのささやかだが太い一生が作り出した生命の秘術が込められた魔法の灰と言っても良かった。それなのに自分の日頃の行いが見事な花を咲かせているのだと勘違いしていた。大量生産できていれば、地球温暖化により失われてしまった満開の桜を取り戻せるのにと爺さんは考えていた。それは偉い殿様だけのためにやるのではない。爺さんは殿様に褒美をもらって喜んでいたかつての自分を恥じていた。花鳥風月をすっかり失くしてしまった人々のすさんだ生活を侘び寂びやトキメキのあるものに変える。自分が褒美をもらうためではなく、貧しくとも生きていれば良いこともあるのだと人々が感じられる暮らしを取り戻すために、この身を捧げることができたならと爺さんは考えていた。

 

 爺さんがそんなことを考えていると、目の前にポチそっくりの犬が現れた。そしてあの時と同じように「ここ掘れワンワン」と叫んでいた。自分は何故か奇跡の犬とめぐりあう運命にあるのだと爺さんは思った。そして犬の指し示す場所を掘ってみると大量の小判が眠っていた。こんなことで喜んではいられない。日本中で失われてしまった桜を取り戻すためには犬一匹に由来する灰では足りないだろう。もっとたくさんの灰が必要だ。そのためにはまずはポチを量産しなければならない。そう考えた爺さんはクローン研究所の主任研究員に相談した。そして百匹のクローン犬が作られた。百匹の犬はいっせいに「ここ掘れワンワン」と叫んでいた。犬の声に従って爺さんが掘ってみると、やはり小判の山が見つかった。だが爺さんは考えた。わし一人で百匹の犬の相手は無理がある。この先、いじわる爺さんに殺された犬を埋めて、そこで育った木を切り倒して臼にして、餅をついて、いじわる爺さんが燃やしてしまった臼の灰を拾い上げて、ようやく目的が達成される。一匹でも十分なイベントが用意されている。それを百匹分やるなんて到底無理だ。しかも日本全国ということになると百匹でも足りないかもしれない。

「わし一人ではどうすることもできないのか?」

絶望した爺さんを心臓発作が襲った。

「爺さん! 爺さん! 爺さん!」

婆さんの知らせにより爺さんは救急病院に搬送されたが、治療の甲斐なく帰らぬ人となった。

「爺さんの意志は私が継ぐ」

そう決心した婆さんはクローン研究所に依頼して、爺さんの髪の毛からクローン爺さんを作り、培養液の中で育てているらしい。研究所の中では己が使命をわきまえた百匹の犬が培養液の中で育てられている爺さんを見守っているのだという。そしていつの日にか、百体の花咲か爺さんが出動し、満開の桜を再び私たちに見せてくれることだろう。