キューピッド

 恋は唐突にやって来た。藤堂先輩のことを考えると胸が苦しくて仕方がない。この想い、なんとか叶えることができないだろうか? でも先輩はいつもあの白鳥家のお嬢様と一緒だ。二人は恋人同士なのだと噂されている。私なんかじゃ絶対に手が届くはずがない。そう思ってあきらめようとしても、私の中の聞き分けの悪い恋心は、まるで言うことを聞こうとはしないのだった。

「どこかにキューピッドがいないかなぁ」

私はため息をついた。キューピッドの恋の矢があれば、手っ取り早く想いを叶えることができる。そんな都合の良いことがあるはずはないのだが、それくらい私は途方に暮れていたのだった。

「呼んだか?」

声のする方に振り向くと、そこには黄色のスーツを来た変なおっさんがいた。パンチパーマで吊りあがったサングラスをかけている。

「てめえなんて呼んでねえよ!」

マジで頭に来たので思わず乱暴な言葉を吐いてしまった。本当はこういう手合いは相手にしないのが一番なのだ。

「いや、でも、キューピッドって言ったやん?」

この恰好で関西弁。やはりこいつは相手にしてはいけない類の人間だ。そう考えて、私は男を無視し、そそくさと歩き始めた。

「ちょっとまったれや、お嬢ちゃん! 藤堂先輩のこと好きなんやろ?」

なんで先輩のことをこいつが知っている? 私は疑惑の目を男に向けた。

「せやからワシが助けてやろう、言うてんねん。ワシは、ほんまもんのキューピッドやさかいにな」

いや、どう見ても違うだろう。キューピッドというのは子供のような成りで、ほとんど裸でふくよかで頭はちょっとくせのある金髪で、白い丈夫な翼が生えていて宙を漂っているものだ。それになにより弓と矢を持っていなくてはならない。恋を叶える弓と矢を。

「子供じゃない!」

「いや、本当はキューピッドも年を取るもんなんや」

「翼がない!」

「あれちょっと目立つんで、背広の中にしまい込んであるんや」

「弓と矢を持っていない!」

「そんなもん昔のキューピッドが使ってただけや。今じゃ技術革新でこういう立派なものに置き換わっとる」

そう言いながら男は懐から何かを取り出した。チンピラのくせにチャカを持っているのかと思って一瞬、うろたえた。男が手にしていたものはいちおう銃の形をしていたが、カラフルでふっくらと丸みを帯びていて、尖った先端には穴がなく、弾丸が飛び出る気配がまるでなかった。鈍色をして、取り返しのつかないことを引き起こしてしまう何か威厳のようなものを備えた本物の銃とは似ても似つかない代物だった。

「何? それ? おもちゃ?」

私は笑い転げながら言った。昔、おもちゃ売り場で見た子供向けのおもちゃの銃に似ていると心底思っていた。

「これは光線銃や。これで意中の人の胸を射貫けばええんや。射貫かれた人間はその時、見た者に夢中になってしまう。そういうありがたい光線銃なんや」

まぁなんとなくキューピッドの矢と整合性が取れているようだった。本当に使えるかどうかはわからないが。

「おっ、向こうから誰か歩いてくるやん」

その声につられて視線を向けると、藤堂先輩が歩いていた。

「お嬢ちゃん。あの兄ちゃんが好きなんやろ? ワシにはわかる。キューピッドには生まれつきそういう嗅覚が備わってるんや」

キューピッドの嗅覚のことは知らないが、男の言っていることは当たっていた。私は恥ずかしくてうつむいていた。

「いまがチャンスや! ワシがこの光線銃をぶっ放してあの兄ちゃんに当てる。その瞬間に見ていた者にあの兄ちゃんは恋をしてしまう。その時、お嬢ちゃんはしっかりとあの兄ちゃんを見てるんや!」

しゃべり方はともかく、なんとなくキューピッドが切ない恋を叶えてくれるような内容の話だと思った。

「お嬢ちゃん! 準備はええか?」

いきなりの展開に多少の戸惑いはあったが、私はこくりと頷いた。

「ほな、いくで」

そう言って男は右手に持った光線銃を先輩に向けた。人差し指がトリガーにかかっていた。先輩はゆっくり歩いている。恥ずかしがっている場合ではない。しっかりと先輩の方を見なければ、そして私の姿をその瞳に焼き付けてもらわなくてはならない。

「発射~」

男がそう言った瞬間、銃の先端から七色のビームが発射された。ビームは螺旋を描きながら真っ直ぐに先輩の方へ向かっていった。もうすぐ当たると思った瞬間、先輩の前に立ちふさがる何者かの姿があった。

<秋田犬?>

そう思った瞬間、七色のビームが秋田犬に命中した。その時、犬と目が合った。途端に犬の表情が喜びに満たされているように見えた。犬は私の方に駈け出すと勢いよく私にジャンプして来た。その場に私は押し倒された。犬は私の頬をなめまわしていた。

 

「さっきはすまんことをした」

キューピッドが頭を下げていた。

「いや、別に犬に好かれるのはそんなに嫌じゃない」

バカにしていた光線銃の効果に驚きながら私は言った。私の恋が破綻してしまった訳ではないのだ。もう一度、やり直せばいいだけだ。

「あの辺りは犬を散歩させている人が多いからね。もっと学校の近くの方がいいかもしれない」

そしてキューピッドと私は作戦を練った。先輩の登下校ルートはしっかり把握している。地図を見ながら候補地をピックアップする。周辺の犬の散歩ルートは十分に考慮する必要があるだろう。公園まで行って戻って来るパターンが多いから、その辺りを避ければ問題はなかろうということになった。

「今度こそ、役に立てると思うとワシはうれしいわ」

キューピッドは楽しそうだった。人の気も知らないで気楽なものだと思った。そして私たちは先輩の登下校ルートから最適と思えるポイントを選び、待ち伏せすることにした。下校時間が来ると私は一目散に駈け出し、キューピッドの待つ場所へと向かった。

「もうそろそろやな」

先輩はゆっくり歩いていたから、あと五分くらいでここに来るだろう。そして私はタイミング良く先輩の前にゆっくり歩み出て、キューピッドが光線銃を発射するのを待つ。犬はこの辺りにはいないはずだ。主要な散歩ルートからは外れているし、この近所に犬を飼っている家がないことは調べてある。

「来たで!」

先輩が歩いて来る。私は何気ないふりをして歩み出た。先輩はまだ気付いていない。ゆっくりと近付いて行く。距離が縮まって行く。もしかしたら数分後には心の距離がぐっと縮まっているかもしれない。そんなことを夢見ながら歩いて行く。私は先輩の方をずっと見ている。早く気付いて。私の気持ちに気付いて。そう思っていると先輩が私の姿に気付いてにっこり笑う。先輩が私を見ている。光線銃を撃つなら今だ。そう思ってキューピッドのいる方を見る。キューピッドはすでに狙いを定めている。安心して私は先輩の方を見る。その時、先輩の前に立ちふさがる何者かがいた。

<げっ! 白鳥麗華! 何でこんなところに>

そこには名門白鳥家の令嬢、白鳥麗華が立っていた。やばい。発射は中止だ。そう思って振り返るとすでに七色の光線が放たれた後だった。ビームは螺旋を描きながら白鳥麗華に命中した。白鳥麗華と目が合った。いつもは吊りあがって高慢と自信に満ちている彼女の視線は、その時、うっとりと私を見ていた。

「わたくし、あなたと友達になっても良くってよ」

彼女は言った。

 

「またやってもうた」

キューピッドは落ち込んでいた。

「いや、別にご令嬢の友達になるのが悪いという訳ではない。ちょっとめんどい子だけど」

私は言った。今回も私の恋が破綻してしまった訳ではないのだ。だが私は少し考え込んでいた。やはり卑怯な手段で恋を成就させようとしている私の心掛けが良くないのではないだろうか? 秋田犬と白鳥麗華は身をもって私にそのことを教えてくれているのかもしれない。

「やっぱりさ、自分自身の気持ちを素直に伝えた方がいいんじゃないかと思う」

私は言った。

「せやな。それやとワシの役割はのうなってしまうけど、それが一番や。お嬢ちゃんは立派や!」

キューピッドは言った。いや、立派じゃない。いざ告白するのだと思うと私は激しい不安に襲われた。遠くから見つめているだけでも良いのではないか? そうすれば決定的な状況は回避することができる。そうなってしまったら私はどうなってしまうのだろう? その時、私は不安に慄いていた。

「全然、立派じゃない! 私、恐くて震えているのよ!」

私は言った。キューピッドは黙っていた。晴れ渡った空を仲間と飛んでいる鳥の鳴き声が聞こえた。爽やかな風が吹いていた。

「キューピッド。お願いがあるの」

「何でも言うてみ。ワシにできることやったら何でも手伝うわ」

「私、自信がない」

「みんなそうや」

「光線銃、ちょっとだけ貸してくれる?」

「何に使うんや?」

「私、自分のことをもっと好きにならなければいけない。自分に自信を持たなければいけない」

それから私は家に帰り、鏡の前で光線銃を胸に当てトリガーを引いた。私は少しだけ自分のことが好きになったような気がした。

 

「残念やったな」

勇気を奮い立たせて私は思い切って先輩に告白したが、あえなく撃沈してしまった。でも後悔はなかった。

「今までありがとう」

私はキューピッドに丁重にお礼を言った。

「ほんじゃ、帰るわ」

「困った人がいたら助けてあげてね」

そう言って私たちは別れた。キューピッドが派手な黄色の背広を脱ぐとそこには立派な翼が生えていた。そしてその翼を勢い良くはためかせ、大空高く舞い上がって行った。