自動改札

 自動改札を抜ける時にピンポンが鳴った。扉は固く閉じて私の侵入を拒み、定期をかざした部分は赤く点滅している。後ろに並んでいる人たちの指すような視線が気になる。舌打ちして不快感を露わにする人もいる。隣の改札に割り込んで行き過ぎる図々しいビジネスパーソン。何で割り込んで来るんだよという目を向けつつも仕方なしに受け入れる人たち。後ろに並んでいた人たちはもういない。塞がった出口を回避する新しい秩序がすぐに構築される。人々は無言で改札を抜け、散り散りに己が目的地へと向かって行く。その無意識で規則的な行動を阻害する不届き者には一切かかわりたくない。そんな雰囲気が感じられる。通行を許可されなかった私は仕方なく改札から離れる。詰所に向かい、駅員に事情を説明する。不正を働いている訳ではない。駅員もなんでそうなったのか、ちょっとよくわからないですねという顔をしている。もう一度、試してもらえませんかと言われたので、人が少なくなった頃を見計らって定期をかざしてみる。扉はすぐさま反応し、規律正しく私に道を開いた。いったいさっきのは何だったのだろうと思いながら私は改札を抜け、会社に向かった。

 

 それからも一か月に一度くらいの頻度でピンポンが鳴った。定期の接触が悪いのだろうか? いや、そんなことはないだろう。そして私はピンポンの鳴った時は、もしかしたら私に落ち度があるのかもしれないと思った。たとえば身だしなみが良くないとか、健康状態が良くないとか。自動改札はピンポンを鳴らすことで、そのことを私に気付かせようとしてくれているのかもしれない。注意を払うよう警告してくれているのかもしれない。そんなことを考えるようになった。

 

 やがて一か月に一度程度だったピンポンの鳴る頻度が、一週間に一度くらいになった。私は週に一度、電子音と赤い点滅に遭遇して恥ずかしい思いをするようになった。

<また、あなたですか?>

さすがに週に一度くらいになると、そう思われてしまいそうだった。通勤というルーティーンはけっこう正確なものなのだ。人々が毎日乗る電車の時刻はたいてい決まっている。そして電車を降りて改札までの道筋も身体にしっかりと刻み込まれている。その人が決まりきった毎日のルーティーンに従っていれば、自動改札の前で立ち往生している私の後ろに来る確率は相当高くなる。そして私は、また、あなたですか?という目で見られてしまうことになる。それにしても今日はいったい何が良くなかったのだろうか? 服装が乱れていたのだろうか? 歯は朝食後にちゃんと磨いているので問題はないはずだ。でも時々、髭を剃るのを忘れることがある。自動改札は私の無精ひげを咎めているのだろうか? そう思って顎を撫でてみる。どうやら髭はしっかり剃れている。あるいはそうではなくて、単に元気の足りない私を励まそうとしてくれているのだろうか? よし、明日からは元気良く改札を通り抜けよう。そういえば最近は仕事のミスが続いて、少し落ち込んでいたような気がする。おいしいものでも食べて、気分転換した方が良いかもしれない。そうだ。たまには、鰻でも食べて元気をだそう。そして私は翌日から、元気よく改札を通ることを心掛けた。そうするとピンポンが鳴る回数が減った。二週間に一度くらいになった。きっと前向きな気持ちで毎日を過ごしていれば、ピンポンが鳴る回数も減るのだろう。そして三週間が過ぎた。この好調をなんとか維持しようと考えながら、改札まで来ると、いつも通っている自動改札機が工事中だった。それから一週間、ずっと工事中だった。私は仕方なく、隣の自動改札機を通っていた。一週間後にようやく工事が終わった。やっとあの改札機を通れると思いながら、通り抜けた。ピンポンは鳴らなかった。それから何事もなく日々が過ぎて行った。一か月経っても、二か月経っても自動改札機は沈黙していた。そして三か月が過ぎた。私はピンポンが鳴るのを待ち望んでいた。そして自堕落な生活を過ごすようになった。髪はぼうぼうで髭も剃らずに過ごしていた。歯も磨かず、ひどい口臭だった。いつも同じ服を着ていた。外食が多くなった。だが、自動改札機は何も語り掛けてはくれなかった。それでも私は毎日、あの自動改札機を通り抜けている。今日こそはピンポンが鳴ってくれないかとドキドキしながら通り抜けている。