熊出没注意

 物心ついた頃に親の姿はなかった。孤児の俺を育ててくれたのはいかつい顔をした猟師だった。その男がどうして私を育てる気になったのかはよくわからない。人手がほしかっただけだったかもしれないし、案外、子供が好きだったのかもしれない。でもやさしくされたことは一切記憶にない。近所の子供が母親に甘えている姿を見て、うらやましいと思ったことは何度もある。でも考えても仕方がなかった。その猟師は俺を徹底的に仕込んだ。銃の撃ち方、動物たちの習性、森で生き延びるための術を叩き込んでくれたことには感謝の言葉しかない。そして気がつけば俺は最強のハンターと呼ばれるようになっていた。そんな俺に全国から依頼が来る。里に出て来るようになった熊を駆除してほしい。そういった依頼だ。そして今日も依頼主の期待に応えるため、森の中を彷徨っている。

<熊出没注意>

そんな標識が立っている。この辺りでは最近、農家の被害が相次いでいるらしい。畑が荒らされ、牛が何頭も襲われている。気候変動の影響なのか今年はドングリに代表されるブナ科植物の果実が不作で餌が不足していると言われている。そして腹を空かせた熊が人里に出没するようになり、熊の処分を委ねられた私がここに来ることになった。村人の話を聞いてから、熊の棲む森へと足を踏み入れる。森は侵入者をあまり歓迎していないようだった。鳥やリスや鹿といった動物たちが、物陰からじっと私を見ている感じがした。時折、響き渡る鳥の甲高い叫び声は、仲間に侵入者の来訪を告げるためのものと思われた。植物さえも私に敵意を抱いているような気がした。二時間くらい経った。森の中に開けた場所があった。空が見渡せる。そこで私は一息入れることにした。ここまでやって来る人間はあまりいないのだろうと思った。雲が流れて行くのが見えた。もうすぐ冬がやって来る。そうすれば熊は眠りにつくかもしれない。私が撃ち殺す必要もなくなるかもしれない。そう思った時、背後に殺気を感じた。とっさに振り向いて引き金を引く。銃声が響き渡る。大きな熊が倒れている。まずは一頭仕留めた。村人の話では二頭いるらしい。平穏を破られた私はさらに奥深くの森へと進んで行く。そこには見たことのない標識が立っていた。

<巨人出没注意>

この森には巨人もいるのか? 一瞬、ひるんでしまった。だが私は普通のハンターではない。最強のハンターなのだ。こんなこともあろうかと立体機動装置を用意して来た。ぬかりはない。最強の私に死角はない。そして私は巨人と熊に警戒しつつ、森の中を進んで行った。そして新たな標識があるのを確認した。

<ザク出没注意>

この森にはザクも出るのか? それはさすがに対応できない。最低でもビームサーベルを用意すべきだった。だがあいにく私に連邦軍ジェダイの知り合いはいなかった。それにしても、いったいどちらが先にビームサーベル、あるいはライトセーバーを考案したのだろう? 妙に気になって落ち着けなかった。ダメだ。こんなことに惑わされている状態ではない。雑念に支配されている今の私では熊にもやられてしまうだろう。巨人やザク相手ではひとたまりもない。

<美女出没注意>

また、新しい標識が立っていた。力任せではなく、色仕掛けで悩殺しようというのか? 私はまだ見ぬ敵に戦慄を覚えていた。この森は深い。私が思っている以上にこの森は深かった。生きて帰れるだろうか? 一抹の不安を覚えつつも私は森の中を進んで行った。やがて私は何も記入されていないまっさらの標識を見つけた。あちこちに同じものがあった。もしかして、ここを訪れたハンターたちが、勝手に書いていただけなのか? 巨人を相手に自分の力を試してみたい者は巨人と書き、昔ながらのアニメファンはザクと書き、スケベな奴は美女と書いていただけなのかもしれない。みんな森の中で出会いたい相手を標識に書いていただけなのかもしれない。そう考えると少しほっとした。森の中を風が突き抜けた。もう一頭の熊は出て来そうになかった。今日はもう帰ろうと思った。その時、未記入の標識に私も何か書いてみようかと思った。私は何に出会いたいだろう? 私は誰に出会いたいだろう? そして私はオリジナルの標識を立て、森を後にした。

 

「巨人出没注意ってどういう意味なの?」

「まさか本当に巨人が出て来る訳ではないだろうな?」

森の中を若い男女が歩いていた。この森にいた熊は全滅してしまった。手練れのハンターがすっかり撃ち殺してしまった。若い男女は深い森の中でただ二人きりになりたかっただけのようだった。やがて彼らはザク出没注意の標識に遭遇したが、何のことだかよくわからないようだった。美女出没注意の標識を見て、男は少しにやけていたが、それを見た女は少し機嫌が悪くなった。

「ここにも標識があるよ」

「何て書いてある?」

そこにはあの最強のハンターが書いた標識が立っていた。

<お母さん出没注意>

二人はそう書かれた標識の前で頭をひねっていた。

「どういうことだろうね?」

「子供の頃、お母さんに叱られるのが嫌だったのかも」

二人の甲高い笑い声が森の中に響き渡っていた。

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