気持ち伝達装置

 リアルタイムに妻の気持ちが伝送されて来る。高感度カメラの捉えた表情には逐次画像処理が施され、微弱な感情の変化が読み取られる。並行して思考に伴って変化する脳波を高感度のセンサーが捉え、AIの処理により思考が可視化される。検出された感情と思考は総合的に言語化され、スマートグラスに相手の気持ちとして表示される。

「もっと手伝ってほしい。どうして私ばかり食事の支度をしなければならないの?」

「今日は疲れているの。もう寝かせて」

スマートグラスにはそんなことばかり表示される。気持ちのすれ違いから離婚する夫婦が増えているということであり、少子化に悩む政府がその対策として無償で配布を始めたのがこの装置だった。でもあまり役に立っていないような気がする。仕事が忙しくて遅くまで働いてクタクタになって帰って来る。帰って来たら、日付が変わっていたということも珍しくない。妻は先に眠っている。別に起きていてくれとは思っていない。とっとと眠ってくれて構わない。すっかり冷めてしまった夕食がテーブルに置いてある。レンジに入れてボタンを押す。静まり返った真夜中のキッチンに電子レンジの唸り声が響く。私だって疲れている。メシを食ったら、風呂に入って寝る。そしてまた朝早くに起きて、出かけて行く。会社ではあっという間に時間がすぎる。何のためになるのかわからない依頼に対応しているだけですぐに定刻になってしまう。それからようやく集中して課題に取り組む。そしてまた終電で帰る。その繰り返し。

「休みの日にしか子供たちの相手をしないくせに、一生懸命子育てをしていると周りの人に思われているのが悔しい。私はずっと子供たちを見ているのに、あなたががんばっていると言われるのが悔しい」

そんな妻の気持ちが表示される。だって私が帰って来るのは真夜中だから、それから子供たちの相手をすることはできないじゃないか? そんな当たり前のことがわからないのかと思う。平日に家事や育児を手伝えなくてごめんね。そんなふうに言ってみる。でも心がこもっていないかもしれない。

「俺だって必死なんだよ。お前は帰って来たら、いつも寝ているじゃないか?」

そんな偽りのない私の気持ちが妻のスマートグラスに表示されているかもしれない。行き違いなんてなくても、私たちの気持ちは遠ざかって行く一方だ。

 

「いつもご苦労様、家族のために身を粉にして働いてもらって、ありがとうございます」

ある日を境にそんな気持ちがスマートグラスに表示されるようになった。いったいどういう心境の変化だろうかと思った。夜遅くまで働いて、朝早くに出掛けて行く生活に変わりはなかったが、妻はいつも笑顔でいるような気がした。こんなに笑う人だったかなと思った。家庭が明るくなったような気がした。そして私自身も頬が緩んでいると自分で思う機会が増えたような気がした。

 

「お使いいただいている気持ち伝達装置に異常はありませんか?」

ある日、装置のレンタルを扱っている会社から電話があった。時折、装置が誤作動することがあるということだった。

「誤作動というのは、どういうことですか?」

ちょっと気になったので聞いてみた。

「動かなくなるという訳ではないのですが、稀に読み取った気持ちと正反対の気持ちを出力してしまうことがあるようです。心当たりはありませんか?」

担当者は言った。

「うちは大丈夫みたいです。差支えなければ一つだけ質問させてください。その誤動作というのはずっと続くのでしょうか?」

私は聞いた。

「よくわからないですね。ずっと続くこともあれば、一回だけということもあるようです。個体差があるのかもしれません。気になるようでしたら新しい装置に変更いたしますが、どうなさいますか?」

担当者は言った。

「いや、いいです。今のところ順調に行っています」

そう言って私は電話を切った。窓の外を見ると珍しく雪が降っていた。子供たちが喜びそうだった。

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