余命予測装置

 ユーロが最安値圏に入ったと思って逆張りを仕掛けた。ここまで下がったら後は戻すに違いないと思っていた。長期的にはその判断は当たっていた。だが短期的には私の予測よりも極端なユーロ安になり、保証金が足りなくなった。ロスカットされないよう下がる度に保証金を追加するという最悪の展開になってしまった。そしてわずか数日で一千万溶かしてしまった。保証金を借りるため、ローンが終わっていない自宅を抵当に入れてしまった。家族はまだこのことを知らない。

 途方に暮れていると父が入院したという連絡があった。悪いことは重なるものなのだとつくづく思った。その時、もし父が亡くなったら、遺産で借金の穴埋めができるかもしれないと考えてしまった。つい先日のことだが、余命が予測できるようになったという記事があったのを覚えている。病気を引き起こす遺伝子についての研究が進み、死期が迫った人の余命がある程度予測できるようになったというものだった。髪の毛などのサンプルを持ち込めば、専用の装置を用いてすぐに測定できるのだという。父には大変申し訳ないことだが、私は借金の穴埋めと父の病気を紐づけてしまっていた。父の死を望んでのことではないが、調べるだけなら構わないと考えていた。

 

 病床の父は痩せこけていた。胃がんと診断されていた。手術をして数日が経過していた。弱々しくベッドに横たわっている父を見ていると心配でたまらなかった。だが私の別の人格は部屋に落ちていた父の毛髪を拾い上げて、こっそり小瓶に採集していた。とても後ろめたかった。私が殺そうとしている訳ではないと自分に言い聞かせた。だが、親の死を待ち望んでいる自分がそこにいるのだという自覚は常に私を責め立てていた。見舞いを終えて、余命予測をしてもらいに出掛けた。再生医療に関わるサービスを主に提供している会社ということだった。建物に入り、受付を済ませるとすぐに部屋に通された。白衣を来た担当者が座っていた。

「余命の予測ですね。サンプルの提供をお願いします」

白衣の担当者はそう言った。私はそっと父の毛髪の入った小瓶を渡した。彼は毛髪をピンセットで掴み、後ろにある装置に仕掛けるとスイッチを入れた。装置が電気を吸い込む音がした。この装置が未来を知っている悪魔のように対象者の死を確定させるということだった。

「あと一か月です」

装置が算出した結果を読み取った担当者がそう言った。あと一か月。意外と早い。それを待ち望んでいる自分はいったい何なのだろうと思った。

 

 週末になると父の見舞いに行った。手術を終えた父は回復しつつあるようだった。どういうことだろう。父はもうすぐ死ぬのではなかったのか? 医師に病状の説明をするので来てほしいと言われた。

「手術後の経過は順調です。がんが転移している可能性は少ないと思っています。手術の時に見ましたが、がんのあるところは比較的限られていました。もちろん、百パーセント大丈夫とは言えませんが、あと二週間もすれば退院できると思います。しばらくは抗がん剤の投与を続けた方が良いと思っています」

「父は助かるのですか?」

「もちろんですよ。安心しましたか?」

「ええ、まぁ」

「急なことで、ご家族の方も随分と心配されたことだと思います。当面は大丈夫だと思います。少なくとも、あと一年は大丈夫だと思います」

「どうもありがとうございました」

医師との面談を終えて、私は複雑な気持ちでいた。父が助かるというのは、どういうことなのだろう。余命の予測が外れたということだろうか? 私はもう一度、父の毛髪を採取して余命予測装置のある企業を訪れた。

「この方の余命は五年以上と診断されました。五年を超えて何年というのはちょっとわかりません。かなり健康であることは確かです」

「前回は一か月と診断されたのですが」

「その時は、違う人の毛髪だったのかもしれません」

余命予測装置の操作を終えた担当者はそう言った。

 

借金を返すあてがなくなった。執拗な取り立てが続いた。自宅を手放さなくてはならなくなった。家族に合わせる顔がなかった。精神的にもう耐えきれそうになかった。装置が予測したのは、私の余命のようだった。