霊界と交信できる装置

 私は発明家だ。霊界と交信するための装置を研究している。宗教は魂を無垢なものとして想定して来た。魂や精神といった形を持たないものは老化や腐敗を免れる神聖な存在だと考えられて来た。その形の無さ故に尊いものであるとされて来た。だが、その形の無さの正体は実に記号であるということなのだ。言葉は記号が並べられたものであり、思惟もまた記号に他ならない。そして精神が記号の集積であるならば、霊魂もまた同じではないだろうか? 腐敗する肉体を持たない霊魂こそ記号の集積ではないだろうか? そしてその記号の集積である霊魂は何処に存在するのだろうか? この世界とは別の世界? いや、そんなことはない。それはきっとこの世界に存在している。宇宙開闢より存在し続けているこの世界の他に物質と記号を満たせる世界はない。死者を埋葬する習慣からか、神話の時代には冥界は地下にあると考えられた。だが、朽ちた肉体を問題にしているのでないならば、地下である必要はまったくないだろう。霊魂はどこにいるのだろうか? いや、霊魂の集まった霊界があると考える必要はないだろう。むしろ霊魂はどこにでも漂っているのではないだろうか? 記号の集まりとして。記憶の断片として。世界のあらゆる場所に偏在しているのではないだろうか? そうだとすると空間に漂う記号を読み取ることで霊魂との対話が可能になるに違いない。

 

 試作機を作ってみた。会いたい人の名前を告げると、その霊魂の持つ記号を空間から取り込んで来る。恐山には霊界との対話を媒介する老婆たちがいるというが、これさえあればわざわざ恐山に出向く必要はない。さっそく妻を亡くしたという男性がやって来た。装置を起動する。男は死んでしまった妻に話しかけている。

「君はまだこの辺りを彷徨っているのだろうか?」

「そうですね。でも現世に心残りがあるという訳ではないのです。私たちはそういう存在なのです」

「もう二度と話せないと思っていた。君を亡くしてから僕はずっとふさぎこんでいた。君と一緒だった頃の幸福な思い出に浸って生きて来た」

「そうですか。でもあなたはあなた自身の人生を歩んで行ってください。私はもういないのですから」

「また会いに来てもいいだろうか?」

「もう私を呼び出すのはやめて欲しいと思います。あなたといて楽しかったこともありましたが、それ以上に辛いこともありました。一緒になったのが間違いだったのです。今は安らかな気持ちでいられます。静かにして置いてもらえないでしょうか?」

「僕の何がいけなかったのか教えてくれないだろうか?」

「あなたが悪いという訳ではないのです」

そこで話は途絶えてしまった。

 

 子供を失くした母親がやって来た。もう一度だけ、あの子と話すことはできないでしょうかと切実な思いを打ち明けられた。すでに瞳は涙で潤んでいた。未来の象徴である子供。自分が死んでも子供が生き続けてくれると思えば、理不尽な死も受け入れられる。だがすでに未来は断ち切られた。もう何も残ってはいない。いままで何のために生きて来たのだろうか? 生きて来た何の意味があっただろうか? 母親は死んでしまった子供に話しかける。

「どうして私より先に死んでしまったの?」

「わからない。僕はずっと辛かった。しんどかった。僕は僕なりに精一杯がんばっていた。お父さんやお母さんのように立派になりたいと思ったこともあった。でも、もう疲れた。楽になりたいと思った」

苦しい時が続いても、なんとかへこたれずにがんばり通して、その先に結果が得られる場合もある。人生は努力するに値するものだと、その時はそう思えるかもしれない。でも、数多くの人生の中で成功に至る事例は限られている。成功した親は同じような成功を子供に期待する。親が不屈の精神で成功を勝ち取ったとして、子供が折れない心を持っているとは限らない。

「私が悪かったのね。追い込んでしまってごめんなさい」

母親はそう言って頽れた。もう話すことは無くなってしまったようだった。

 

 死者ともう一度話したいという人々がその後も私の元を訪れたが、霊界との交信は一度きりのことが多かった。死者と生者では話が噛み合わなかったのだろうか? いや、そうではない。死者が生きていた頃から話が噛み合わなかったのだ。