「久しぶりだな。元気にしているか? 今度、一緒にメシでも食えないかと思ってさ」

「兄さん? 本当に久しぶりだね」

帰国中の弟に電話をした。彼は今、ブンデスリーガで活躍している。日本代表にも選出されている。ちょっとした有名人だった。

「弟がサッカー選手なんです」

店にちょくちょく来るお客さんにちょっと気になった女性がいて、ついそんなことを言ってしまった。言った後に少し後悔した。

「知っています。大ファンです。会わせてもらったりできますか?」

やっぱり言わなきゃ良かった。でも、そうでも言わなきゃ相手にしてもらえそうになかった。五年前から細々とスポーツ用品店を営んでいる。日本代表の弟に比べれば、ゴミみたいな人生だった。

 弟に電話した後、子供の頃のことを思い出していた。私は地元のサッカークラブに所属していた。レギュラーにも選ばれて試合に出場していた。母と弟がいつも応援に来ていた。母に抱かれた小さな弟はそこで何が行われているか、まだ理解できていない様子だった。その日、後半終了間際にパスを受けた私はドリブルで敵陣を切り裂いて行った。そして最後のディフェンダーをかわし、渾身の力でシュートを放った。ボールは吸い込まれるようにゴール右隅に決まった。ゴールが決まるとチームメイトと抱き合って喜んだ。その時、母のいる方をチラッと見た。母は満面の笑みで喜んでいた。お兄ちゃんがゴールを決めたよという感じで弟に話し掛けているようだった。それからしばらくして弟はサッカーを始めた。小学校の四年生になると六年生を差し置いてレギュラーになった。そして全国大会に駒を進めた。足も速くパスもドリブルも小学生離れしていた。そして全国大会でも見事に優勝した。それに比べて私はさっぱりだった。レギュラーを外され、たまに与えられたチャンスでも結果を出すことができなかった。天才の弟と出来の悪い兄。世間ではよくある話だった。神様はどうして私ではなく弟を選んだのだろうと思った。私がほしいと思ったもの。フィールドで通用するテクニック。人々を魅了する独創的なプレイスタイル。弟はそのすべてを持っていた。そして高校生になって私はボールを蹴るのをやめてしまった。

 

「兄さんから連絡をもらえるなんてうれしかった。僕のことを嫌っているのかと思っていたよ」

久しぶりに会って一緒にメシを食っている時に弟は言った。私も会えてうれしかった。弟の方こそ私のことを嫌っているのではないかと思った。弟の才能を妬んでいるみっともない兄なんて、世界を相手に活躍する弟から見れば、うっとうしいだけに違いない。

「日本のエースを嫌っているなんて、そんなことはあり得ないな。ところでブンデスリーガでもすごい活躍だな。ますます雲の上の存在になって来た感じだ」

「そんなことないよ。僕は兄さんの背中を追いかけて必死にやって来ただけなんだ。天才とか言われるけどそんなことはない」

弟が必死に努力して来たというのは事実だった。才能があったとしても、それを開花させるためには不断の努力を必要とする。その努力をコツコツ積み重ねていた弟の姿を私は知っていた。

「まだ小さかった頃、兄さんがドリブルで敵陣を切り裂いて、ゴール右隅にきれいなシュートを決めたのを見て、僕もあんなふうになりたいなって思った」

その言葉を聞いて私は母に抱かれた小さな弟のことを思い出した。あの時、弟はそんなことを考えていたのかと思った。

「兄さん。僕に何か頼みごとがあるんじゃなかったっけ?」

そう言われて、ファンの女性に弟を合わせると約束してしまったことを思い出した。

「いや、何でもない。今日は会えて良かった。じゃあまたな」

「ありがとう」

それから私たちは店を出た。弟は呼び出したタクシーに乗って去って行った。私は昔のことを思い出してにやにやしながら、一人で繁華街を歩いていた。帰ったら、久しぶりにボールを蹴ってみようかなと思った。

画像1