カイザリヤで喜ぶ彼女

 女としてできるだけのことはやっているつもりだった。週に一度はエステに通っているし、美顔器だって高級なものをつかっている。脂質や糖分を控えた栄養バランスの整った食生活を心掛け、筋力維持のために毎朝のジョギングを欠かさない。無条件に流行に追随するとか、盲目的にブランド品を求めるようなはしたない真似はしない。成人女性として恥ずかしくない簡素でも質の良い服を選んでいる。人前ではつねに笑顔を絶やさないように努めている。いつもその場を明るくできる女性でありたいと思っている。そんな私をベニーズに連れて行くような男は最低だと思っている。女として可能な限りの努力はしている。そのための支出や苦労を惜しんではいない。だからそれなりの女性として扱うのは相手の男性の義務だと思っている。そんな気の持ち方が高飛車に映るのか、なかなか良い出会いに恵まれないでいる。最近になってマッチングアプリを使うようになったが、折り合いがつかずに三か月が過ぎてしまった。一回くらいは会ってみた方が良いと思って、メッセージ機能を使ってやり取りをしてみた。食事しながら一緒に話しましょうということで実際に会うことになった。

「ちょっと待って、ここに入るの?」

「ここのミラノ風ドリアはけっこういけますよ」

しばらく歩いた後、その男は私を連れてカイザリヤに入ろうとした。こんな店、ベニーズと同じじゃないか? 私は納得が行かなかった。そう。女として努力しているのだ。ここは私に相応しい店じゃない。

「私にはお金をかける価値がないということかしら?」

そう言って私は彼を置き去りにしてとっとと帰ってしまった。念入りにお化粧したことや、二時間もかけて服を選んだことがバカバカしかった。

 

 その後もなかなか良い相手は見つからなかった。いいなと思うような男性はこんなアプリに頼らなくてもきちんとパートナーが見つかるものなのだろう。自分は本当は魅力のないつまらない女なのかもしれない。そんなことを考えていたら、久しぶりにメッセージが届いた。私をカイザリヤに連れて行こうとしたあの男からだった。

「十兵衛の予約が取れそうなのですが、一緒にどうでしょうか?」

そう書いてあった。十兵衛と言えば名の通った有名なお鮨の店だ。料金もそれなりにかかる。この人はあれから反省して、ちゃんとした店に私を誘ってくれているのだ。そう思うととてもうれしくなって、もう一度、会うことにした。

 初めてだったので少し緊張していた。芥子色の木材を基調とした店内は日本人の心にしっくり合っていた。明るすぎず暗すぎない照明は親密な雰囲気を醸し出していた。机や椅子や何気なく置かれた調度品も素朴な品格を備えていた。一枚板のカウンターに料理を載せた古風な皿が並ぶ。見た目も美しい選び抜かれた新鮮なお鮨を口の中に運ぶと舌の上で自然にほどけていく。味覚に直接訴えかけて来る圧倒的な快楽にまったく抵抗することができないでいる。そんな喜びを堪能できるひと時に思えた。

「今日はありがとう」

「いいえ、どういたしまして、喜んでもらえたらうれしいです」

身体が喜びを感じると、自然と心も落ち着くようだった。

「来店ありがとうございます。なかなか来られないと思いますから、今日は楽しんで行ってください」

私たちの担当をしてくれている若い職人が言った。

『なかなか来られない?』

少し引っ掛かる言葉だったが、その通りだった。私たちの稼ぎでは頻繁に来られる店ではない。企業の接待とか、余程のお金持ちでないとこんな高級なお店で会食することなんてできない。少し離れたところに座っている年配のカップルがこちらを見て笑っていた。私たちは場違いなところにいるのかもしれなかった。

「先日も三才くらいの小さなお子様をお連れになったお客様が見えられました。その時、あのお子さんはもう二度と来られないかもしれないなと思いました」

若い職人が話を続けた。いったい何が言いたいのだろうかと思った。

「お腹いっぱいになりました。私、帰ります」

そう言って私は席を立った。

「えっ? まだ少ししか食べていないじゃないですか?」

彼はそう言ったが、私は一目散に店を出てしまった。彼は仕方なく後をついて来たようだった。店の入っている高層ビルを出た。大勢の人が各々の目的地を目指して歩いていた。片側三車線の道路を車が行き来していた。

「今日はありがとう。予約を取るのも大変だったでしょう」

「もうしばらく一緒にいたかったですけど」

それから私たちは駅まで一緒に歩いた。

「あの、私、お腹がすいちゃった。これからスシゾーに行きませんか?」

「えっ」

意外な提案に彼はとても驚いていた。

 

 スシゾーも混んでいたが、二十分待ってなんとかカウンター席に座ることができた。おとり広告があってからは混雑は幾分、緩和されたようだった。

「出身は関西です。でも訛ってないじゃないかってよく言われます。関西人同士だと自然に訛るのですが」

「山本さんて真面目なんですね」

「真面目すぎておもしろくないと言われます」

「そんなことないですよ」

百円の皿を積み増しながら、私たちは自分自身のことを少しずつ語り合っていた。店は賑わっていた。子供の声が聞こえて来た。家族で来るのは楽しいだろうなと思った。

「来週も会ってくれますか?」

「でも十兵衛の支払いですっからかんになってしまいました。三か月くらいしたらお金も貯まると思いますので、その時にまたお誘いします」

「大丈夫です。私が支払います。カイザリヤで良ければですけど」

私がそう言うと彼は目を丸くしていた。

「カイザリヤは嫌いじゃなかったのですか?」

「そんなことないですよ。あそこのミラノ風ドリアはなかなかいけますよ」

抜け抜けとしゃべる私を彼はやさしく見守ってくれていた。