女装男子

 オアシス21周辺はコスプレイヤーで賑わっていた。この街では毎年八月になるとコスプレサミットが開かれ、日本中の、いや世界中のコスプレイヤーが集まって来る。私もその中の一人だった。コスプレは初めてだった。でも本当は女装したかっただけだった。女装してみたいという願望がいつから私の胸に巣食っていたのかはよくわからない。女装男子とか、女装して変身したオジサンのニュースを読んで羨ましいと感じることが度々あって、いつかきっと私もと思っていた。でも実際に女装して街を歩くのは躊躇われた。その時、思った。コスプレサミットの時には独特のバイアスがかかり、街のいつもの正常性に綻びが生じている。その日に限って、二次元の世界に憧れている人々が思い思いの恰好をして街を闊歩することが許されている。その中にそっと紛れ込めば、抑えきれないこの願望を満たすことができそうだった。そして私はとあるアニメに登場する女剣士になって街を歩いていた。

 街の景色が違って見えた。コスプレイヤーたちが街を占拠しているのも一因だったが、私自身が何者かに変わった影響が大きいのだと思った。女装したいという願望が実現して私はすっかり別人になっていたのかもしれなかった。

「とても似合っていますよ」

後ろから声を掛けられた。振り返るとそこには私と同じように女剣士に扮したコスプレイヤーがいた。

「ありがとうございます」

褒められるなんて思ってもみなかった。うれしくて、つい声を出してしまった。声が低くて男と気取られはしないかと思ったが、なんとかごまかせたようだった。それからしばらくその女剣士と一緒だった。いや、女の子と一緒だった。女装して女の子と一緒に歩くのは何だか不思議な気分だった。普段通りに男の姿であったなら、とても緊張していたかもしれない。でも女同士なので気兼ねなく話ができた。女同士? 私は女装しているうちにすっかり女になってしまったのだろうか? 私は異性としてその女の子を見ているのではなく、気の置ける同性の友だちとして、その女の子と話していた。

「今日はとても楽しかった。また会ってくれますか?」

彼女はそう言った。それから連絡先を交換した。そういうこともあるかと思って、女性の名前で登録した連絡先を用意していた。彼女は冴子という名前だった。

 

 しばらくして、冴子さんと一緒に水族館に行くことになった。今回はコスプレに紛れた女装ではなかった。アニメの登場人物の恰好を真似るのではなくて、普通の女の子の恰好をする。通販で焦げ茶色の落ち着いた感じのシャツと青みがかった黒のスカートを買った。着替えて鏡の前に立ってみた。そこには知らない私が映っていた。もしかしたら、それが本当の私かもしれなかった。

 冴子さんと一緒にいろんな魚たちを見て回った。水族館を選んだのは、そこが薄暗い場所で、相手が魚に夢中になっている間は、正体がバレるおそれはないと考えたからだった。静かで落ち着いた雰囲気の場所ということもあった。一階には広い水槽を眺めながら、ゆったりできるスペースがあった。互いに距離を許している若い男女が、一定の間隔を空けて寝ころんでいた。その前を茶目っ気のあるイルカが悠々と泳いでいた。周りは皆、カップルだった。私たちだけ女同士だった。正確には女装した男子と普通の女性だが、周りから見れば女同士だった。

「きれいだよ」

私の目を見つめながら、冴子さんがそう言った。ドキッとした。

「僕は、本当は男なんだ」

冴子さんが突然、告白した。

「自分を変えてみたくて思い切って女装してみた。以前からそういう願望があった。でも君と出会って、やっぱり僕は男なのだとわかった。今日こうして一緒に歩いていて、君に僕を男として見てほしいと思っていることがわかった」

周りのカップルの親密な振る舞いに刺激されたのか、目の前の彼女が、いや女装した彼が私の上に覆い被さって来た。私は彼を見上げる格好になっていた。彼の唇が近づいて来た。どうすれば良いのだろう? 私の中で目覚めた女性が彼を受け入れようとしていた。一方でそれに強く抵抗する何者かが存在していることも私は自覚していた。そして私は彼の手を取り、スカートの中へと導いた。彼は突然、積極的になった私に驚いていたが、何か納得した表情で私のあそこに手を入れて来た。

<???>

彼の表情が一変した。

「ご、ご、ごめんなさい」

そう言って彼は怯えた表情でその場から去って行った。

 

 そのことがあってからもう半年になる。あれから女装はしていない。また、コスプレサミットが近づいて来る。今年も参加しようと思っている。男なのか、女なのかはまだ決めていない。