AI百景(34)思考の解読

 電磁波を当てて脳の血流を測定することで脳の働きを読み取ることができると期待されていた。脳は身体の各部を制御するといった重要な働きの他にも様々な役割を担っているが、私たちが関心を寄せていたのはもちろん思考についてであった。それは相手に気付かれないうちにその思考を読み取れる技術だった。しかしながら読み取ったデータの解析には膨大な演算が必要となるため、早期の実現は困難とされていた。最近になってAIによる解析を組み合わせる手法が提案され、ようやく実用化の目途が立ったのだった。

「これでようやく心理学も客観性のある学問として認められるようになるかもしれない」

K教授は呟いた。物理現象や化学反応を扱う自然科学とは異なり、心理学の実験ではいつも再現性が問題とされて来た。

<もしかしたら被検者は嘘をついているかもしれない>

心理実験を行う度につねにそうした疑問がついて回った。そしてその疑問を完全に払拭することはできなかった。

「原子や素粒子は決して嘘をつかない。同じ条件を与えれば必ず同じ結果が再現される。科学とはそういうものだ」

自然科学を生業とする人たちがそう言っているのを彼は何度となく耳にした。

「社会科学とか人文科学なんて本当は科学じゃない」

一般教養の授業で理系の学生に心理学を教えていた時にそんなふうに言われたこともあった。その言葉は彼の自尊心を密かに傷つけていた。それでも彼は心理学の重要性と可能性を信じ、ありったけの情熱を傾けて来た。その彼の目の前に今、fMRIとAIを組み合わせた思考解読システムがあった。

<これで嘘偽りのない本当の思考を読み取り、実験の精度を高めることができるだろう>

彼はそう呟いた。

 

「これが何に見えますか?」

スクリーンに画像を表示しながらK教授は被験者に尋ねた。いちおう回答は従来と同様にタブレットに入力してもらっていたが、システムによる思考の読み取りも並行して行われていた。当たり障りのない質問に対して被験者は正直だったが、被験者自身の個性や人格に関わるような質問をすると、入力された回答とシステムが読み取った思考には差異が認められた。やはり被験者自身の回答を鵜呑みにしてはいけないのだと彼は考えた。そしてデータの客観性を保証するシステムの動作に満足していた。

「もっと多くのデータがほしい」

彼はそう思った。このシステムがあれば新しい展望が開けそうだった。

 

 K教授は精力的に実験を続けていた。彼が新たに構築した理論を検証するには、まだまだデータが不足していた。そのためにはもっとAIの解析能力を強化する必要があった。実験の方法も再考する必要があった。被験者に研究室に来てもらって実験に協力してもらう場合は、ただそのことだけで被験者に余計なストレスを抱えさせてしまい、実験によからぬ影響を与えてしまうかもしれなかった。もっと自然な感じで、普通に会話する感覚で実験ができれば、もっと大きな成果が期待できそうだった。それを実現するためシステムの改良に取り組み、百人以上の被検者にそれと悟られることなく、リアルタイムに思考を読み取れるシステムを完成させた。

「これが何に見えますか?」

いつものようにスクリーンに画像を表示しながら彼は尋ねた。

<そんなこと聞かれてもなぁ>

<割と時給の良いバイトとしか考えていないので、適当に書いておこう>

<つまらない質問だなぁ>

<こんなことして食って行けるなんて心理学って羨ましい>

期待していない回答が次々に表示された。

<この教授この前、女子学生に色目使っていたらしい>

<いやらしい目つきで私を見ないでほしい>

<いつ見てもキモイ奴だ>

一般の人たちがわざわざ彼の実験に付き合ってくれる機会はあまりなく、被験者の中には学生も多かった。その時、美しい女子学生を目で追いかけてしまうこともあったかもしれない。

<いや、それは違う。私は女子学生をそんな眼で見たりはしていない>

彼は必死に否定していたが、そんなことは誰も聞いていなかった。

 

 そのことがあってから、何か話している人を見ると陰口を言われているのではないかと彼は考えるようになった。目に映る人々は彼を蔑んで笑っているのではないかと彼は思うようになってしまった。そんなことはないと強く自分に言い聞かせながら彼はなんとか平静を保っていた。思考解読システムを使うのはやめたようだった。そこに表示される結果を直視することは彼にとって耐え難いことのようだった。