いつも通る道から逸れている月

 あんな方向に月が出ていたことがあっただろうか? 朝、家を出ると快晴の空に白っぽい月が浮かんでいた。太陽と月と地球の位置関係は季節に応じて変わるから、私たちが見る月の高さや傾きにも違いが出て来て当然だろうが、今までずっと見て来たのだからたいていのパターンは身体が覚えているのだと思っていた。いつも見る月は、いつもの位置に、いつもの方角に見えるはずだった。だが今朝の月は、いつも通る道から逸れていた。こんなことが今までにあっただろうか? そんな些細だが納得しかねるものを抱えて、私は駅までの道を歩いていた。一日の始まりのちょっした違和感なんて、歩いているうちに忘れてしまうだろうだろう。取るに足らない出来事や気持ちのブレは、やがて多忙な生活にすっかり洗い流されてしまうに違いない。そう考えて気持ちを落ち着かせようとしながらも、まだ月を見ていた。月は私について来ている。あるいは私が月を追いかけている。ふと何者かの視線に気が付いた。側溝に下半身を埋めた猫がこちらを見ている。猫は通り過ぎる私を警戒している。視線を私から逸らさない。

「月がいつもと違うってどういうことだい?」

突然、猫が話しかけて来た。びっくりした私は立ち止まって猫の方を見る。猫もじっと私の方を見ている。

「お前がしゃべったのか?」

そう言ってみる。猫は知らん振りをしている。右足を使って毛づくろいをしている。なんだ気のせいか? 疲れているのだろうか? 見慣れない位置に月が見えたなんて思うのも疲労のせいかもしれない。

「疲れているからという訳ではない。ちょうどそういうタイミングなのだ。そういう時期なのだ」

再び、猫の声が聞こえて来る。しゃべっているのではない。頭の中に直接響いて来る。それに猫は私の考えたことを察知している。思考を読み取って、思念を伝えている。テレパシーというやつだろうか?

「明日、お母さんが死ぬよ」

猫はそう言った。

 

 その夜、深い眠りに落ちているところに電話が鳴った。床に置いてある充電中のスマートフォンを取り上げる。画面には妹の名前が表示されている。時刻は二時五十五分だった。妹からの急な知らせは、いつも悪い内容に決まっていた。父が入院していた時も妹が電話をかけて来た。お兄さんに来てもらった方が良いとお医者様に言われたと泣きながら知らせて来た。その夜、父が亡くなった。もっとずっと前、私たちが子供の頃もそうだった。野球の練習をしている時に、まだ幼稚園の妹が小学校のグランドに泣きながらやって来た。その日、犬が死んだのだ。シロが死んでしまったと妹は泣きじゃくっていた。そしてまた、こんな深夜に電話を掛けて来ている。内容は察しがつく。応答ボタンをスライドさせて、スマートフォンを耳と口にあてる。

「お母さんが・・・」

すすり泣く声が聞こえて来る。わかっている。夜中に電話が鳴った時からそのことには気付いている。いや、もっと前からかもしれない。猫がしゃべり出した時から。月がいつも通る軌道から逸れていた時から。母の死を告げた妹は、落ち着いた様子でこれから葬儀屋を探しますと言った。父が死んだ時に煩雑な事務手続きを体験していた私たちは、次になすべきことを知っていた。お願いしますと言って電話を切る。時刻は三時二十分を過ぎていた。いつもなら明日の活力を蓄えるための眠りについている。気持ちがとても高ぶっている。すぐにでも駆け付けたいが、地下鉄も新幹線も動いてはいない。じっと朝が来るのを、人々が仕事を始めるのを待っていなくてはならない。

 

 粛々と葬儀を行った。母はとても活発な人だった。友達も多かった。誰からも好かれていた。口腔に癌を患ってからは人生が一変した。病気はその人から食べる喜びと話す喜びを奪ってしまった。うまく話せなくなった母は友達を避けるようになった。友達から電話がかかって来ても、実の兄弟から電話がかかって来ても出なくなった。口の中を激しく損傷してしまって流動食で命をつないでいた。父はそんな母の面倒を必死になって見ていたが、自分の方が先に逝ってしまった。父がいなくなって、母はどんどん弱って行くように見えた。しばらくして一人でこの家に住めないと言い出した。私と妹は仕事で忙しかったが、交代で実家に泊まるようにした。母はなんでもないところで転んだ。夜中に音がするので起きてみると、流しの蛇口から水が勢いよく流れ出していた。父がいなくなって母はどんどん壊れて行くようだった。妹と私は実家に寝泊まりしながら、入居できる施設を探していた。介護が必要であると認定してもらわなければならなかった。銀行のキャッシュカードも届出印も失くしてしまったと言っていた。二か月かかってなんとか施設に入居できるようになった。その後すぐに母は介護士に、家族に捨てられたと言ったそうだった。私は実家から遠く離れた場所で、二人の子供を抱えて働かなければならなかった。それを放り出して母の面倒を見ていれば、家族に捨てられたなんて言われずに済んだのだろうか? 入居してから一年半で母は逝った。老衰だった。最後は水も飲まなくなった。あれだけ溌溂とした人生を歩んでいた人の死としては寂しすぎた。葬儀を終え、年金や後期高齢者医療保険介護保険の停止、人が亡くなったら相続人がやらねばならない事務的な手続きを進めて行った。忌引きと年末年始の重なった長い休暇を過ごした。何かやることがあると気が紛れた。年金事務所に出掛ける。随分と長い間、待たされても別に怒りがこみ上げて来る訳でもなかった。ぽっかりと胸に穴が開いてしまっている。埋めるものがない。親の死と共に自分の中の何割かが持っていかれたのだろう。何を持っていかれたのか自分でもよくわからない。父の時もそうだった。死によって生じた空虚は、いつかは別の何かで埋められる。日常生活のささいな出来事。きっとつまらないもの。何でもいい。何かで埋めてほしい。それまではじっと耐えなければならない。

 

「これからも君は失い続けるだろう」

いつも通る道から逸れている月を見た日に会った猫が言った。母が死んでからしばらく姿を見ていなかった。

「どこかで聞いたような台詞だ」

昔、読んだ小説に確かそんなことが書いてあった。人生は不毛だ。獲得したものをすべて失い続けることになっている。

「君の周りはすでに死んだ者たちで満たされ始めている。今、君が聞いている音楽も、ずっと前に死んでしまったアーティストのものだ」

猫の言う通りだった。クラシックだけでなく、ロックもポップミュージックもすでに死んでしまった人の曲だった。実家に住んでいた父も母も犬も猫もみんな死んでしまった。私の半分以上はすでに死の世界の中にあるのかもしれなかった。

「それでも君は生き続けなければならない」

どれだけ理不尽なことがあったとしても我慢しなければならない。そしていつの日か、自分自身の意識も混濁して、この世界に別れを告げることになるのだろう。

「月はまた元の道に戻るよ。そして俺様にもしばらく会うことはないだろう」

猫はそう言うとにっこり笑った。そして眩い朝日の中に消えて行った。