余命三千メートル

「あなたの余命は残り三千メートルです」

電話の声は冷たく言い放った。巷ではその手の病が流行っているようだった。余命三千に関わるウイルスの変種が次々に発生していて、私もそいつにやられてしまったようだった。仕方なく、なるべく動かなくて済むような生活をすることにした。買い物には行かない。必要なものは通信販売で購入する。仕事にも行かない。きっとそのうち解雇されるだろう。会社に事情を話しておいた方が良いかもしれないが、状況を説明して納得してもらえる自信がなかった。どうせもうすぐ死んでしまうのだ。しばらく食っていくくらいのお金はある。もう仕事のことは考えないようにしよう。残り三千メートルを有意義に過ごすにはどうすれば良いか、それだけに集中しよう。そんなことを考えていたら、また電話が鳴った。

「あれからよく考えてみたのだけれど、私たちやり直せるような気がするの。今、駅前の喫茶店にいるの。来てもらえないかしら?」

先月、別れたばかりの元カノからだった。やり直せるような気はしなくもないが、駅まで五百メートルはあると思う。往復だと千メートルになる。行って戻って来ると余命が二千メートルになってしまう。それはまずい。

「ごめん。悪いけど行けない」

私は言った。うん、やり直せるような気はする。余命のことさえなければ。電話の向こうから、すすり泣きが聞こえて来る。

「どうして会ってくれないの? 私には会うだけの価値もないということなの? ひどい・・・」

私は仕方なく出掛けることにした。アパートを出る。郵便局の前を通る。春先に見事な花を咲かせるハクモクレンの並木道を通る。この景色を見るのもこれが最後になるのだろうと思って通り過ぎた。駅前の喫茶店に入り、元カノと話をした。きっと君とはやり直せると思う。でも残念ながら僕にはメートルが残っていない。どうかメートルをたくさん持っている人と幸せになってくださいと伝えた。わがままを言ってごめんなさいと彼女は言った。そして別れた。やり直せないのは、私にメートルがないからだとわかって彼女は納得したようだった。用を済ませた私はアパートに戻った。往復で千百メートル消費してしまったようだった。予定より百メートル多かった。残り千九百メートルしかなかった。外出をする余裕はないし、他にすることも思いつかなかったのでテレビのスイッチを入れた。アナウンサーが神妙な面持ちでニュースを読んでいた。巨大な勢力の台風が接近しているらしい。明日の朝には、この付近に到達するということだった。すぐに近くの小学校の体育館に避難してくださいという。いや、それは無理だ。小学校まで千メートルくらいあるだろう。往復すると二千メートルになる。私にはあと千九百メートルしか残っていない。避難したら、アパートに戻る途中で死んでしまう。ここで大切なメートルを使う訳には行かない。そして私は激しくなる雨風の中、古びたアパートの二階で心細い夜を過ごした。朝が来て、ますます雨風は強くなった。でも、なんとか耐えた。ずっと部屋の中で過ごしていた。やがて台風は去って行った。その日の夕方にまた電話が鳴った。

「ひとつぶ三百メートルのキャラメル要りませんか?」

要らない。絶対に要らない。ひとつぶ三百メートルというのは、ひとつぶに含まれるカロリーで走れる距離のことだろう? じゃあ七つぶ食べて走ったら余命を使い果たしてしまうことになる。そんな不吉なお菓子は要らない。私の余命を知っている者の嫌がらせだろう。もう電話に出るのはよそう。そう考えて、またテレビをつける。またしてもアナウンサーが神妙な面持ちでニュースを読み上げている。

「昨夜、巨大怪獣が出現しました。まっすぐこちらに向かっています。近隣の住民は直ちに避難してください」

巨大台風の次は巨大怪獣か? こう立て続けに天変地異だか怪奇現象が起きていてはやってられない。それに絶対に私は避難することはできない。仕方なく、電話する。

「もしもし、地球防衛軍ですか? また怪獣が上陸したそうですよ。今月もう何度目でしょうかね。きちんと仕事してくださいよ。また税金ドロボーとか言われてしまいますよ」

「了解しました。市民の生命を守るのが私たち地球防衛軍の責務と心得ております。皆様のご期待に沿えるよう全力で戦って参ります。どうか今後も地球防衛軍へのご支援、よろしくお願い申し上げます」

そして市民にディズられた地球防衛軍の奮闘により、巨大怪獣接近による避難警報は解除された。

 

 それからも私は、なんとか動かないようにして命をつないでいた。でも、このままじっとしていなければならないかと思うととても残念な気持ちになった。動物だから動くのはあたり前だ。それだったら植物としてなら生きて行けるのだろうか? そう思った私の足はすでに地中深くにまで達していた。全身に緑の葉が生い茂っていた。動きを止めた私は無限の命を獲得したのだった。