犬の自殺の名所

 街には石で出来た立派な橋があった。二十メートル程の高さがあり、辺りを一望することができた。周囲には緑が茂っていた。この橋にまつわる奇妙な事件についてぜひとも解明していただきたいと言うのが、今回の依頼だった。

「ここは犬の自殺の名所でしてね」

パイプをくわえた白い顎鬚の依頼人が言った。

「犬のですか?」

思わず聞き返してしまった。そもそも犬に自殺する動機なんてあるのだろうか? 現在より悲惨な未来が待ち受けているとしか思えない時に命を絶ってしまうのは人間に特有のことではないのだろうか? 人間関係のいざこざに伴ってハラスメントが絶えないとか、こじれた恋愛関係が修復する見込みがないとか、不治の病に侵されて回復の余地が全くないとか、この先、生き続けたとしても未来にまったく期待が持てない。そんな時に、死に至る痛みはそれでも回避したいという思いが外れてしまって、後先のない行為に踏み切ってしまう。

「先月も二件ありました。橋の上を散歩していると犬の様子がおかしくなって、橋から飛び降りてしまったと飼い主は言っています」

「失礼ですが、どのような経緯でそのことをお聞きになったか、聞かせてもらえますか?」

「なに、私共は犬好きで集まっているだけなのです」

さて、犬が橋から飛び降りるものなのだろうか? そうだとしたらいったいどのような理由で? 人間の気付かない匂いに反応しているのだろうか? 人間の気付かない感覚的なものが原因なのだろうか?

「獲物の姿が目に入った時に自分が高所にいることをつい忘れて、追いかけてしまうのかもしれません。獲物を追いかけた瞬間が最後、二十メートル下の川に落下してしまう」

犬だけにやはり思慮が足りないのかもしれない。高所から落下したら死んでしまうということもわかっていないのかもしれない。人間であれば、落下すれば死んでしまうという認識はある。ビルの屋上から飛び降りて自殺を図った。飛行機が墜落して乗員乗客全員が死亡した。そんな話をいくつも聞いている。犬にそんなことを知る機会はない。それに犬はビルの屋上に昇ったりはしないし、飛行機に搭乗することもない。だから高所にある橋にいて危険だと思うこともないのかもしれない。そして餌となる小動物を見つけた時に咄嗟に飛び上がってしまい、落下して命を落としてしまう。それが真実かもしれない。

「犬が飛び降りてしまうことがわかっているなら、そんな橋にわざわざ行く必要はないのではないでしょうか?」

そう聞いてみた。

「そうですね。その通りだと思います。犬の命を大切に思うのなら、少しの危険も避けなければならないと思います。飼い主はそう思っていたのでしょうかね。それとも何も考えていなかったか? そんな噂を聞いたことはあるけれど自分達には関係のないことだと一蹴していたのか? あるいは飼い主がそちらに向かうつもりはなかったのだとしても、犬がなぜかそちらの方に引き寄せられてしまったのかもしれません。断崖絶壁に立っていた人が何かの気配に吸い込まれてしまったという話を聞いたことがあります。自殺の名所には何かしら人を誘い込む要素があるということです。それが何であるのか死んでしまった人からは何も聞き出せません。肌で感じ取る何かの気配。あるいは幻影。あるいは幻聴。人の何万倍も嗅覚にすぐれた犬であれば、嗅覚にまつわる幻があるのかもしれません。そしてその匂いに誘われた犬は身を投げてしまうのかもしれません」

依頼人の言う通りだった。どうしてかわからないが、そこに行ってしまうことがある。どうしてかわからないが、そうしてしまうことがある。理由なんてない。私たちは生き延びるために経済活動に組み込まれてしまっていて、結果を出すためにいつだって合理的な思考を必要とする毎日を過ごしている。そんな合理的な暮らしの合間にふと非合理的な存在に引き寄せられてしまうと、そのまま戻って来られなくなってしまうのかもしれない。もしかしたら犬も人間と一緒に暮らしているうちに効率的で合理的な習慣が身に付いてしまっているのかもしれない。栄養バランスに配慮の行き届いたドッグフードを決められた時間に与えられる。朝と夕方にお決まりの散歩コースを歩く。犬は何も考えていないようで、そんな暮らしに飽き飽きしていたのかもしれない。そんな時、ふと何かに引き寄せられてしまったのかもしれない。

「調べてもらえるでしょうか?」

「せっかくのお申し出ですが、私には少々荷が重いようです」

そう言って私は街を後にした。人が自殺する理由すら私にはよくわからなかった。わからないというより、残された人々が納得できるような理由を探し出すことなどできなかった。人の場合ですらそうなのだ。犬の気持ちがわかった振りをして自殺の理由を依頼人に説明するなんて絶対にできないと思った。