空き巣

 明日期限の報告書の作成が終わったのは二十三時を少し過ぎた頃だった。少ない人員でなんとか仕事を回しているが、先月は新人が二人辞めて行った。いつまでこんなことが続くのだろう? 帰りの電車の中でぼんやりと窓を眺めながらそんなことを考える。電車を降り、改札を抜け、アパートまでの昇り路を歩く。少し肌寒い。暑さがずっと続くかと思ったら急に冷え込むようになった。アパートに着く。台所の窓から灯りが漏れている。消し忘れたのだろうか? そう思いながらノブに差し込んだ鍵を回す。ドアを開けて中に入ると六畳間に知らない老人が座っていた。視線がぶつかる。微笑みが帰って来る。誰だ? この人は? 空き巣なのか? それにしてはやけに堂々としている。質素な身なりだが、どことなく威厳を漂わせている。もしかしたらこの人は天界から舞い降りて来た仙人なのかもしれない。冴えない暮らしの若者を助けるためにここにやって来たのかもしれない。

「あなたはもしかして仙人ですか?」

老人はじっと私を見ていたがこっくりとうなずいた。ずっと苦しい生活が続いていたが、もう我慢しなくても良いのだと思った。この人がきっと私を苦しみから解き放ってくれるに違いない。

「願い事はいくつまでですか? 三つくらいは大丈夫ですか?」

せっかくのチャンスを無駄にしてはならないと私は必死になっていた。

 

<あー、びっくりした。あまりに金目のものが見つからないので長居しすぎてしまった。とっとと逃げ出したいところだが入り口を塞がれてしまってそうも行かない。幸い、何か勘違いしているようだ。仙人? そんなのいる訳ないじゃないか? ただの空き巣だ。とりあえず話を合わせておこう>

「願い事は三つまで叶えて進ぜよう。さぁ、一つ目の願いを言ってみなさい」

「じゃあ、まずは不老不死にしてください」

<やっぱりそれか。定番のやつだ。しかし不老不死になってもお金がないと、どうにもならないのではと思う。どうするつもりなのか聞いてみよう>

「不老不死か? よしわかった。叶えて進ぜよう。でもその後どうするのかね? いくら不老不死でも食っていかねばなるまい」

「そりゃそうですね。じゃあ二つ目の願いはお金にします。一生、食べて行けるだけのお金をください」

<やっぱりそう来たか。永遠の命の次は尽きることのない富というわけだ。これも当たり前と言えば当たり前だ。でもその後どうするのだろう? ちょっと聞いてみよう>

「お金か? よしわかった。叶えて進ぜよう。でもその後、どうするのかね? 不老不死になって食べて行くのにもまったく困らない。そんな暮らしが長く続いたらすっかり退屈してしまいそうだ」

「そうですね。じゃあ地位と名誉も欲しいです。それでみんなにちやほやされたいです」

<人間の欲望なんて実に単純なものかもしれない。行きつく先はそこなのかという気がする。でもそれで良いものなのだろうか? ちょっと聞いてみよう>

「でもそれで果たして幸せになれるものかの?」

そう言うと青年は少し考え込んでいた。

「地位や名誉があって何もしなくてもみんなが褒めてくれる。それで満足できるものかの?」 何も成し遂げていないのに賞賛だけ要求していたら、『こいつ何もしていないくせに』ってみんな思うだけかもしれないですな。あなただって、ただ上司と言うだけでふんぞり返っている人がいたら、いい気分はしないでしょうな」

「そうかもしれません」

青年はうつむいていた。

「きちんとした実績を残した上で認められるのが良いですな。そのためには努力の積み重ねしかないですな。競争は激しく努力したからと言って成功する保証もないでしょうがの。でもそういう厳しい世界を生き抜いた人生こそ賞賛に値する。そういうものかもしれませんな」

そう言うと青年は感心した様子で私の方を眺めていた。

「ありがとうございます。私が間違っていました。三つの願いとか、もうそんなことはどうでも良いです。嫌なことがあってちょっと卑屈になっていただけです。これからは努力して生きて行きたいと思います」

それから私はその青年と意気投合して一緒に鍋をつついて安い発泡酒を飲んでいい気分になっていた。やがて酔っぱらってしまったのか青年は眠ってしまった。

「やれやれ、これでようやく帰れそうだ」

眠り込んでしまった青年のズボンのポケットから財布が抜け落ちていた。中を確かめると一万円札が一枚と千円札が二枚入っていた。こっそり頂いていこうかと思ったがやめた。眠っている青年をそのままにしてアパートのドアを開けた。外はすっかり暗くなっていた。外灯に虫がたかっていた。

「明日、ハローワークに行こう」

ふと、そんなことを考えた。