AI百景(40)レジェンド

 著名なアーティストの声をAIで再現し、往年のヒット曲や自分たちの作ったオリジナル曲を歌わせることが流行っていた。大手の音楽レーベルはそうした著作権に違反する行為を見つける度に警告を発していた。見つかってしまったサイトはすぐに閉鎖されたが、一週間もすると同じコンテンツを揃えたサイトが出現するのだった。かつて新しいアルバムのリリースを待ちわび、ライブに足を運んだ人々は、古き良き時代が再来したように感じていた。生まれるのが遅すぎて、生けるレジェンドを見たことのない人たちもサイトを訪れていた。昨今の音楽は何もかもが矮小化してしまっていると彼らは感じており、何でも良いから本物に触れてみたいという思いが強いようだった。無料でなくても良かった。本当に好きなものに対してなら、喜んでお金を払いたいと彼らは考えていた。父親が自分と同じくらいの年齢だった頃、新しいアルバムの発売を心待ちにしていて、貯めていたお小遣いを持ってレコード店に買いに行ったという話を聞いた若者は、自分もそんな時代に生まれてみたかったと考えていた。その頃に比べると音楽作品はどんどん安っぽくなってしまった。レコードやCDといった物理媒体をレンタルする時代が訪れ、やがて物理媒体は音楽ファイルに取って代わられた。今ではストリーミングで音楽が垂れ流されるようになった。貯めていたお小遣いを使う機会は何処にもなかった。

 

 フレディ・マーキュリーが知らない曲を歌っていた。聴いたことはないが、どこかで聴いたことのありそうな曲だった。AIを使えばクイーンっぽい曲が作れるのかもしれなかった。それは確かに自分が生まれる前に死んでしまっていた彼の声だった。

<これじゃない>

彼は思った。レジェンドはもうどこにもいなかった。本物と出会えたとしたら、もしもその時代に立ち会えたとしたら、どんなに素晴らしいことだろう? そう思ってここにやって来た。でもここにあるのはまがい物だった。人々は悪気があってそうしているのではないのだと彼は思った。失ったものがあまりに大きすぎて、胸のうちに空いてしまった穴を埋めるには自分の人生が長すぎて、やむなくそうしているのだと思った。新曲を歌うレジェンドが痛々しく思えて来た。たまらず彼はページを閉じた。

 

 静まり返った部屋の中で彼はしばらくぼんやりしていた。突然、思い立って部屋の片隅に置いてあったギターを手に取り、弾き語りを始めた。稚拙な演奏だった。声もかすれていた。誰も聴いてはいなかったし、誰かが聴いていたとしても聴く者にとって何の価値もない演奏だったが、彼はその行為の中に没頭していた。自分と周りの世界との境界が次第に無くなって行くような気がした。歌い続ける彼の脳裏をレジェンドの影が横切った。レジェンドはにっこり笑っていた。