AI百景(25)第十交響曲

 ライナー・ブラウン氏はその人生をベートーヴェンの研究に捧げていた。幼い頃から彼は楽聖の音楽に親しんでいた。そこには喜びや哀しみや不屈の意志といった人間の持つあらゆる感情が表現されていた。一見して無機質とも思える音の並びに、どうしてこれほど気持ちが揺り動かされるものなのか、彼はとても不思議に思っていた。そして彼はその感動を呼び起こす何かについて、じっと考えていた。楽聖の生涯についても細かく調べていた。楽聖の残したスケッチ帳を隈なく調べ、楽曲の成立過程について細かくノートに記していた。彼ほど、楽聖を知り尽くした人間はいなかった。ベートーヴェンを理解しているつもりでいた音楽関係者は、彼と話す度に自分の至らなさを感じる程であった。

 そんなブラウン氏だが長年、悩みを抱えていた。彼は楽聖のスケッチ帳に見慣れぬ旋律があることにずっと前から気付いていた。それは楽聖が完成させた曲のどこにも見当たらない旋律だった。これは何を作曲しようとしていたものなのだろうか? 交響曲? 協奏曲? ピアノソナタ? 弦楽四重奏曲? 居場所の定まらない音符たちを見て彼は考えた。そしてその断片を組み合わせれば、もしかしたらとてつもないものが出現するのではないかという淡い期待を抱いていた。そんな折、彼はAIが作曲できるという話を聞いた。モーツァルト風の曲を作るようにAIに指示すると、それらしい曲が出来るということだった。彼は早速、そのAIを使ってみた。なるほど出来上がった曲を聴いてみると、なんとなくモーツァルトの作品のようだった。そのAIはモーツァルトの楽曲を十分に学習しているということだった。そこでブラウン氏はこのAIを使えば、抱えていた問題が解決できるのではないかと考えた。そしてAIにベートーヴェンのすべての楽曲を学習させた後、彼がスケッチ帳で見つけた旋律の断片を使って、曲を作るように指示した。AIは指示に従い楽譜を生成した。それを再生しているうちにブラウン氏は、これは交響曲ではないかと考えた。そしてAIにオーケストラが演奏可能な総譜を作り出すよう指示した。生成された総譜を見てブラウン氏は震えた。もしかしたらベートーヴェンが完成させることのできなかった第十交響曲を今、自分は手にしているのかもしれない。偉大な第九交響曲の後を引き継ぐ第十交響曲を私は完成させたのだ。自分はこの仕事を成し遂げるためにこの世に生まれて来たのかもしれないと彼は思った。

 

 ベートーヴェンの幻の第十交響曲が初演されるということでコンサートホールは満員となっていた。オーケストラが着席してからしばらくすると指揮者が盛大な拍手で迎えられた。指揮者が台に上がると拍手は止み、曲が始まるのを聴衆は固唾をのんで見守っていた。やがてタクトが動き、演奏が始まった。ベートーヴェンの魅力が十分に備わった素晴らしい曲だった。飽くなき闘争。目的を成し遂げるまで折れることのない強靭な意志。優しい旋律の影に潜む深い哀しみ。これこそベートーヴェンだと思って聴衆は感涙にむせんだ。演奏が終わると割れんばかりの拍手が巻き起こった。そして指揮者と共にこの第十交響曲を完成させたブラウン氏も盛大な拍手で迎えられた。皆、満足して帰って行った。だが、一定のファンが一通り第十交響曲を聴いてしまうと、それ以上は人が集まらなくなってしまった。年末になると今年も第九を聴きに人々がホールを訪れたが、第十交響曲が演奏されることはなかった。しばらくして別の研究家がベートーヴェンの第十一交響曲を再現したという話が持ち上がった。そんなの嘘っぱちに決まっているとブラウン氏は憤慨した。AIがそれらしくベートーヴェン風の曲を作ったというだけのことではないのか? まったく楽聖を冒涜していると彼は思った。数年後、人々は第十交響曲のことも第十一交響曲のことも忘れてしまった。ライナー・ブラウン氏がベートーヴェンの研究に生涯を捧げたことも忘れられてしまった。ベートーヴェン自身の作曲した不朽の名作だけが、次の世代の演奏家と聴衆の心を高鳴らせていた。