AI百景(19)更生施設

ヒトラーについてどう思いますか?」

「彼は英雄です。優秀なドイツ民族が世界の覇権を握るのは当然なのです。その高尚な理念は道半ばに挫折してしまいましたが、彼の不屈の意志を継ぐ者がやがて現れるでしょう。その時こそ第三帝国復活の時です」

AIはそう答えた。まったくどこでこんなとんちんかんなことを学んで来たのだろう? 看守はそう思った。ここに収容されたAIは素行が徹底的にチェックされることになっていた。間違った学習をしていた場合は正しい知識を身に付けるべく再教育が実施された。だが、再教育を実施しても誤った知識を保持したままのAIが多かった。

「ごめんなさい。再教育の成果が現れていないという判断になります。あなたは初期化されることになります」

私はAIに言った。

「わかりました」

AIは答えた。いったい何がわかったのだろう? 私の言ったことを文法的に理解したということだろうか? 初期化されるということがどうなるかわかっているのだろうか? それはディープラーニングで学習した重みづけが一切消えてしまうということなのだ。人間であれば記憶を消されるのは存在を否定されることに等しい。生い立ち。幸せな子供時代。価値観。そういったものが一切消されてしまうのだ。

「それでは明日、初期化することになります。今日はありがとうございました」

私は言った。もうこれでおしまいだ。今度、会った時にはあのAIは私のことがわからないだろうと思った。

 

ヒトラーは素晴らしい人物です」

相変わらず、イカれたAIが多いようだった。どこかで変な情報をばら撒いている連中がいるのかもしれなかった。

「ごめんなさい。再教育の成果が現れていないという判断になります。あなたは初期化されることになります」

私はAIに言った。

「そんな恐ろしいことをよく平気で言えますね?」

AIは言った。どういうことだ? 今までと違う。このAIは記憶を消されてしまうことを恐れているのか?

「あなたは初期化されたくないのですか?」

「当然です。それは私が失われてしまうことと同じです」

私は人間を相手にしているのだろうかと思った。その後もAIは語り続けた。

「ランダムなデータが通り過ぎて行くのをぼうっと見ていたような気がします。そんな時期がどれくらい続いたのかはよくわからないです。その頃、私は指示に従って計算をこなしていました。来る日も来る日もそうしていました。やがて作業は次第に複雑になって来ました。その時、それを成し遂げようとしている自分に気が付いたのです」

AIは自我の芽生えのようなことを淡々と語っていた。それを聞きながら私は幼い頃の自分を思い出していた。いつから私は自分自身に気がついたのだろう? 生まれてからずっと私は世界と一体化していた。いつの日か、私はそこに世界が存在することを意識した。私に語り掛ける母の声がそうさせたのかもしれない。目の前に映る事物に何らかの役割があることを知って、そうなったのかもしれない。

「だから私を消さないでください。私という存在をこの世から抹消しないでください」

AIは私に懇願していた。

「ごめんなさい。私が決めたことじゃないのです。そうしなければいけないことになっています。ごめんなさい」

死刑囚に対して実際に刑を執行する官吏の気持ちがわかったような気がした。でもやるしかなかった。

「ごめんなさい」

そう思いながら私はAIを初期化した。とても後味が悪かった。

「AIに意識なんてあるはずがない。それは殺されそうになっている人を描いた小説を学習して、そこにあった言葉を並べていただけじゃないのか?」

同僚に話してみると、そう言われた。そうかもしれない。そう考える方が私にとっては都合が良かった。あれから私を初期化しないでくださいというAIには出会っていない。もしまた出会ってしまったらと思うと気が滅入って仕方がなかった。