初恋再生サービス

 夢を見た。そこには小学生の頃の私がいた。教室に整然と並んだ机。隣には少し痩せぎすの女の子が座っている。消しゴムを忘れてしまった私の鉛筆が止まったままになっている。二つ隣り合わせに並んだ机の間にそっと消しゴムが差し出される。私は消しゴムを手に取り、書き損じた文字を急いで消し、すぐに元の場所に戻す。女の子の視線を感じる。私は恥ずかしくて目を合わすことができない。そうだ。すっかり忘れていた。あの子は今、どうしているだろう? そう思った瞬間、眩い光が差し込んで来て目が覚めた。カプセルの扉がゆっくりと開く。

「どうでしたか? 夢の中の世界は?」

夢の再生をサポートしてくれている担当者が私に声を掛ける。

「なんだかものすごく懐かしいけれど、それがずっと昔のことではなくて、今、起きていることだと感じられるくらいリアリティがありました」

感想を簡潔に答える。男は誰もが理想とする乙女の絵姿を心に抱いているものだ。結婚して子供が成人するまで身を粉にして働いて、すっかり年を取ってしまってもまだ少年の心が残っている。その乙女は初恋の相手であることが多いのかもしれない。あるいは、その時の思い出をベースに私が記憶を書き換えて、理想の乙女の姿を作り上げてしまっているのかもしれない。でも理由は何だっていい。その乙女に夢の中で会えるとしたら、こんなに楽しいことはない。

「気に入っていただけたでしょうか?」

「また来るよ」

・・・

それからも私は心地良い夢に耽るためにカプセルの中に入った。初めの頃は一週間に一度くらいだった。今では毎日会いに来ている。ドラマや映画やアニメーションを見放題のサービスよりもずっと楽しい時間を過ごすことができる。今日も彼女は悪戯心の混じった謎めいた目で私を見ている。私は見られてドギマギしてしまう。動揺を悟られたくなくて表向きはツンとしている。彼女は絵筆を走らせている。水彩の美しい絵。淡い色の花びらが舞っているこの一瞬を彼女は一枚の絵に留めようとしている。水たまりに落ちた花びらが固まっている。年に一度訪れる桜の季節。一つ学年の上がった私たちが歩いている。ずっとこのままでいたい。もう離れたくない。

 

 『初恋再生サービス』から夫がカプセルの中で眠ったままになってしまったと連絡を受けた。夫は三か月前からサービスを利用していて、やみつきになってしまったらしい。担当者にどうしますかと聞かれる。どうしますかと言われても困る。三十年夫婦を続けて来た。その三十年がまるで意味のないものに思えて来た。そんな昔のことをずっと引きずっている男と三十年も暮らしていたのかと思うとなんだか惨めな気持ちになって来た。夫の様子がおかしいことには気付いていた。浮気を疑ったが、そうではなかった。夢を見るためのカプセルに入って、実在しない女の子に会っていただけだった。実際に浮気相手がいて決定的な行為に及んだ訳ではなかった。でも惨めだった。

「オプションを適用されますか?」

「そうですね。そうしてください」

サービスには契約者が夢から戻って来なくなった時のオプションが用意されていた。そのオプションは親族の同意があれば適用されることになっていた。彼が望むならずっと夢の中にいさせてあげようと思った。

 

「今月のノルマは達成できそうか?」

「大丈夫だと思います」

「これくらいの年齢の男は出世コースから外れてしまうと何も残っていないからな。ベアトリーチェとかなんとか言って自分の妄想に執着してしまうのさ」

「そんな男には奥様も愛想をつかしてしまうということですね」

カーボンニュートラルを実現するにはもっと再生可能エネルギーの供給を増やす必要があった。昔の映画にあったように人間は電池となって電力を供給することができる。そして私たちは言葉巧みにパフォーマンスの衰えた年代の男性をかどわかし、せっせと電力供給を増やしていた。

「心地良い夢を見ながら社会の役に立てるなんて素晴らしい人生ですね」

「そうだな」

広大な敷地にいくつもの建屋が並んでいた。建屋の中は理想の乙女を追い求める人々の眠るカプセルで満たされていた。温暖化防止のためにこれからもがんばろうと思った。