タワマンのヒエラルキー

 タワーマンションの五階に引っ越して来た。上層階のように景色を楽しむことはできないが、タワマンのメリットは眺望以外にもたくさんあると思って購入した。たいていタワマンは立地条件の良いところに建てられている。近くにスーパーもコンビニも学校も病院もある。タワマン自体が一つの街なのだ。その街の需要を求めて店舗が集まって来る。堅牢なセキュリティも魅力の一つだった。オートロックが複数箇所にあって、関係者以外の立ち入りはできないようになっている。エントランスや廊下も大理石でとてもゴージャスな雰囲気を醸し出している。建物自体も耐震性や防音性に優れている。建物内に便利な施設がいろいろある。フィットネス、ラウンジ、プール、スパ、サウナ、バー、展望室。景色を楽しみたくなったらラウンジか展望室に行けば良い。いくら高層階からの眺望が良いと言っても毎日見ていると飽きてしまうだろう。たまにラウンジに行って楽しむくらいが丁度よい。これだけのメリットがありながらタワマンの低層階は高層階に比べて安価に設定されている。エレベーターでの移動に時間がかかることもない。それに高層階だと風が強くてベランダに洗濯物が干せないという話だ。地震の時の揺れが激しいとも聞く。そういった様々な要素を勘案するとタワマンの低層階に住むというのは、それほど悪い選択肢ではないと思った。だが、上の階から降りて来たエレベーターを止めてはいけないというような暗黙の了解があるようだった。自分の方が上の階に住んでいると知った途端、マウントを取って来る人もいるらしい。住んでいる階で決まってしまうとてもわかりやすいヒエラルキー(階層)が存在している。でもそれが気になるなら、初めから高層階を選んでいる。そこは割り切ろうと夫と相談して決めた。少々不快なことがあっても我慢しようと思った。

 

「お母さん。どうしてもっと上の階にしなかったの?」

学校から帰って来た子供が泣きそうな目をして私に絡んで来た。タワマンに住む子供たち同士が集まって、そこで何階に住んでいるかという話になったらしい。子供が五階と答えると、『それじゃあ、タカシ君の家が一番低いね』と言われたようだった。

「こんな低いところに住んでいたら、景色も楽しめない。恥ずかしくて友達も呼べない」

引っ越して来て、自分の部屋がもらえてとても喜んでいた子供は、怒りに満ちた非難の目で私を見ながらそう言った。

 

「もっと上の階に引っ越せないかしら?」

仕事から帰って来た夫に言ってみた。

「何を言っているんだ? ローンを組んだばかりじゃないか?」

夫は怒り出した。

「タカシが今日、学校でいじめられたらしいの。五階に住んでいるのが理由みたい。友達はもっと上の階に住んでいるって」

「そんなことでいちいち引っ越せる訳ないじゃないか? お金はどうするんだ?」

「私たちは我慢すれば良いけれど、タカシにとってはつらいことなのよ。これが原因で不登校にでもなったら、あなたどうするの? タカシの一生が台無しになってしまってもいいの?」

夫との話し合いはうまく行かなかったが、それから高層階の物件を賃貸で契約できないか探すことにした。賃貸に住みながら、この家を売りに出せば良いのだ。子供のためになんとかしなければと思った。物件を探し回って、十八階の物件を見つけた。これくらいなら、一番下ということはないだろう。夫に相談してみた。夫は不満たらたらだったが、あれから彼なりに少し考えていたようで『子供のためなら仕方がない』という顔をしていた。ここで逃したら、今度はいつになるかわからないと思ったので、物件を押さえるために手付金を支払った。それから子供に引っ越すことになったと説明した。

「えっ? どうして引っ越すの?」

「やっぱりタワマンは高いところに住まなきゃと思ったの。良い景色を眺めていると心が豊かになるだろうし」

「でも、上の階に住んでいる友達が、地震があった時にものすごく揺れて怖かったって言ってたよ。強い風が吹いただけでも揺れている感じがして、安心して暮らせないって言ってた」

上の階に住んでいる友達? いじめられていたのではなかったのか?

「お母さん。住んでいる階が上だとか下だとか、そんなことに振り回されるのは愚かな人間のすることだって僕わかったよ。この前は、わがまま言ってごめんなさい」

毅然とした調子で子供は言った。愚かな人間が既に支払ってしまった手付金はもう戻っては来なかった。