Nowhere Man

 ビートルズを初めて聞いたのは中二の時だった。お小遣いを貯めて買ったレコードを二枚だけ持っていた。歌詞を見ると中学生にも理解できる簡単な英語で書かれていた。その時初めてイエスタディの二番がサドンリーで始まることを知った。友達のKに教えてあげると、そうなのかと言って驚いていた。ちょうど学校でサドンリーという単語を習ったばかりだった。全集を買える程のお小遣いはもらってなかったので、FM放送でビートルズの全集が組まれた時に、カセットテープに録音した。曲を紹介するアナウンサーの声に同期して録音開始ボタンを押す瞬間はとても緊張した。曲が終わる時も緊張した。初めて聴く曲がどういう終わり方をするかなんて知らないので、停止ボタンを押すのが遅れてアナウンサーの声が少し入ってしまうことが度々あった。録音した曲を聴き込んで、私はようやくビートルズの全容を知ることができた。世代を超えて聴き続けられる理由がわかったような気がした。その頃から、私のお気に入りの曲は、Nowhere Manだった。カタカタでの表記はノーホエアマンだったが、少し違うような気がした。邦題は「ひとりぼっちのあいつ」だったが、もっと違うような気がした。全然、ひとりぼっちでもなんでもない。ポイントはただひとつ。彼は少し、あなたや私に似ていないかい? 私には大いに思い当たるところがあった。

 

 遠く故郷を離れた大学に行くことになった。一人暮らしを始めて、自由な時間を満喫した。授業に出なくても誰も咎める者がいなかった。仕事をしている訳でもなく、勉強をしている訳でもなかったが、私はとても忙しかった。クラシックを聴き始めたのもその頃だった。それまで読書とは無縁の生活を送っていたが、岩波文庫とか新潮文庫にある有名な作家の本を片っ端から読んでいった。今までに蓄積されて来た芸術や英知を知らずにいるのは何か間違っているような気がしていた。呼吸をするように音楽を聴き、食事をするように本を読んだ。主要な作品に一通り触れてみたら、音楽家や作家の見た景色と同じものが見れるかもしれないという期待が何処かにあった。そんなふうに過ごしていると『あいつはどこにもいない男、どこにもない彼の国に座り、誰のためという訳でもなく、彼のプランを作っている』というあのフレーズを思い出すことが、何回かあった。有名なクラシックの作曲家が、彼だけの空想の世界に住んでいるという自覚を持っていたということを何かで読んだ。彼は現実の世界ではとても浮いた存在であり、周りにいる人間と打ち解けることもない。だが、空想の世界で作り上げた彼の作品は、やがて現実世界を支配するようになる。指揮者や演奏者は彼の作品を頻繁に取り上げ、聴衆は彼の作品を聴きにコンサートホールを訪れるようになる。彼が亡くなっても彼の作品はずっと演奏され続けている。やがて私は、地下に閉じこもった小官吏について書かれた小説に辿り着いた。私の周りでは、ヘミングウェイの素晴らしい作品に陶酔する人はたくさんいたが、地下に閉じこもった小官吏とか毒虫に変身してしまった男の話は、自分とは関係のない異質なものとして遠ざける人が多かった。地下に籠った男の独白。彼も少し、あなたや私に似ているかもしれない。

 

 モラトリアムに浸って不自由なく学生時代を過ごしていたが、やがて就職しなければならなくなった。これからずっと先、夏休みのない人生を過ごすのかと思うととてもがっかりした。これから始まりだと言うのに、人生が終わってしまったような気がした。そうして仕方なく働き始めたが、やがて仕事にも慣れた。日曜日の夜はいつも憂鬱な気持ちになったが、嫌だからと言って仕事を辞める訳には行かなかった。それからしばらくして結婚した。自分の人生だけではなくて誰かの人生まで引き受けるようになるなんて、私も随分と変わったものだと思った。そして子供が産まれ、休日になると家族で出掛けた。動物園に行ったり、水族館に行ったり、お弁当を作ってプールに泳ぎに行ったりした。私のような人間が、ちゃんと普通に生きて行けることに少し驚いていた。子供は順調に育って行った。子供の成長を見るのは楽しかった。だが、中学生になると話をしてくれなくなった。そういうものだろう。私にも覚えがある。閉ざされた扉の向こうから、私の知っている曲が流れて来た。Nowhere Man。彼は少し、あなたや私に似ていないかい?