ショスタコーヴィチ交響曲第13番「バビ・ヤール」

バビ・ヤールが砲撃されたという報道を読んで、ずっと聞いていなかったこの曲を聴こうと思った。ショスタコーヴィチと言えば交響曲第五番が有名で「二十世紀にこんな素晴らしい交響曲の傑作があることを知ってうれしい」と言うような感想が寄せられるケースがあるのだろうが、交響曲第五番と言えば「森の歌」と並んで体制のために書かれた曲ではないのだろうかと彼の主要な作品を一通り聴いたファンは考えているのではないかと思っている。何と言ってもソ連で生き延びた作曲家だ。交響曲第四番は作曲してから初演まで四半世紀かかったとか、周囲の目を窺いながら何が本意であるか自分自身ですらわからなくなるような多種多様な性格の異なる曲を書いてきた作曲家だ。第二次世界大戦の終わりにショスタコーヴィチ交響曲第七番が彼の国の軍隊の勝利を高らかに歌い上げるのをラジオで聴いたバルトークは辟易したと聞く。当局の批判の矛先が向けられれば、芸術家としても人間としても抹殺される危険性があるからやむを得ないことがたくさんあったに違いない。ところがこの第十三番「バビ・ヤール」では周囲の機嫌を窺うようなことは一切やめているように見える。十三番と十四番は二十世紀の交響曲の傑作に違いない。バビ・ヤールではユダヤ人の虐殺があった。そしてショスタコーヴィチが作曲した頃にはまだ何もなかった。それで曲の出だしは以下のようになっている。

「バビ・ヤールに記念碑は無い。切り立つ崖が粗末な墓標だ」

ユダヤ人を弾圧したのはナチスだけではなかった。帝政ロシアソ連ユダヤ人を迫害していたことが仄めかされる。

 

今では絶対的な悪魔として認知されているヒトラーナチスに政敵をなぞらえた批判がしばしば行われる。確かにそれは手っ取り早い。あいつらがナチスだったなら、敵対している私たちには必ず正義が舞い込んでくる。ウクライナに進攻したロシアの言い分ですら、ネオナチに蹂躙されている人々を救うためということになっている。あっちがナチスでこっちが正義であると互いを罵り合っている。そして今回は、中東やアフリカではなくヨーロッパが戦場となったことで従来にも増して人道主義が盛んに口にされている。中東で死んで行った人々のことなんてヨーロッパの人々はどうでも良かったということが明らかになって来ている。そして私たちが当然のものとして受け取っていた平和が非常に危ういものであったことに世界中の人々が気付いている。