世界の終末

 直径十五キロメートル程の巨大な隕石がメキシコのユカタン半島の近くに衝突して、恐竜は絶滅してしまったのだと言う。力学法則に従って描かれた天体の軌道が、生き物たちの精一杯の努力をあっという間に蹂躙してしまう出来事は、極めて低い確率でしか発生しないが決してゼロではない。そして今また、地球上の生物が死滅する危機にあることが各国の宇宙機関の観測により判明した。直径三十キロメートルを超える小惑星が地球との衝突コースに入ったということだった。情報は最高度の機密で伏せられていたが、あえなくリークした。小惑星は地球への接近を続け、アマチュア天文家が観測できるレベルになった。軌道の計算も、パソコンがあれば並の大学生でもできるレベルだった。核ミサイルによる迎撃で軌道を変えるには今回の小惑星は大きすぎるというのが科学者の見解だった。数発の核弾頭を当てたくらいではびくともしないということだった。なすすべもないまま時間は過ぎ、やがて小惑星との衝突が一か月後に迫った。人々は働くことをやめた。もうすぐみんな死んでしまうと言うのに、自衛隊と警察は治安の維持に努めていた。生鮮食品の供給は途絶えたが、災害に備えた非常食は行き渡っていた。衝突が起こるまで、少なくとも飢え死にすることはなかった。自分一人が死ぬのではなくて、みんな死んでしまう。子供や孫に望みを託して死んで行くのではない。もともと人間の致死率は百パーセントだ。そんなことは生まれた時にすでに決まっている。何をどれだけ一生懸命やろうが最後には死んでしまう。そう思うとすべてが虚しい。だが、子供や孫がいれば、たとえ自分が死んだとしても意志は引き継がれる。だが、今回はみんな死んでしまう。まもなく終末を迎える世界は、そんな状況だった。未来を奪われた人々は、静かに安らかに死んでいくことだけを願っていた。そんな世界の中で、俄然やる気を出している勢力があった。

 

最後の審判の日が近付いて来ました。今度こそ本当です。善行が報われ、悪行が裁かれる時が遂にやって来たのです。神の国に入れるのか、それとも地獄に落ちるのか、はっきりさせる時が来たのです」

小惑星の落下でみんな死んでしまう。未来に生き残る者は誰もいない。ようやく最後の審判の時が来る。今までに死んで行ったすべての人間が一堂に介し、厳正な審判が下る。これまで駅前で小冊子を手に持ち、神の国へ入りましょうと言っていた怪しげな連中が、まもなく終局を迎えることになった地上では偽りのない真実を語っているように思われた。未来がいつも用意されている世界では、最後の審判がどうだとか、ラッパの音がどうだとか言ったところでインチキでしかなかったが状況は変わった。小惑星が地球と衝突するその時に人類は絶滅し世界は終末を迎える。その先に生きている人間は一人もいない。最後の審判は今や揺るぎない真実となった。そしてその場で天国に行けるのか、地獄に落ちるのかが明瞭に裁かれるに違いない。巨大な隕石が落ちて来るから人類が滅亡するのではなくて、最後の審判を確実なものとするために巨大な隕石が落ちて来るのだと信じる人々も増えつつあった。そして小惑星との衝突が一週間後に迫った時点で、世界人口の半数が最後の審判を信じるようになった。宗教、宗派の違いに関わらず、終末思想というものは教義には必ず登場するものなのだ。病に臥せり、どうあがいても助からないことを自覚した病人が、それまでの態度を悔い改めるように、世界中の人々が悔い改めるようになった。一方でどうせ死ぬのならと好き放題をして、殺人まで厭わないような人間も一定数出現したが、彼らのやけくそな行動は、最後の審判を信じる人々の信念を固める働きをしていた。私たちは、あんな連中とは違うのだと。それでパニックになってもおかしくない世界は、静かに小惑星の接近を待っていた。終末を待つだけになった世界は、皮肉なことだが今までで一番平和であり、人々の信仰は揺るぎのないものになっていた。

 

 世界中の人々が世界の終わりを覚悟し、信仰に身を委ね、死を受け入れたその時、軍事大国の首脳たちは秘匿していた新兵器を小惑星の破壊のために運用することを決定した。核爆発があっても全く軌道を変えられない程に大きな小惑星を破壊する兵器。そんなものが極秘に開発され、伏せられていたのである。それは核爆発で発生するガンマ線を一定方向にレーザーとして照射するものであり、地上に向けられたなら敵の被害が甚大であるばかりでなく、生態系に対しても深刻な影響を及ぼすことになり、自国にも確実に被害が跳ね返って来るという代物であった。そんなものを地球上に三つある軍事大国は既に開発済みであった。そして巨大な電波望遠鏡のようなその姿が地上に出現した。三つの軍事大国が互いに連携しているかどうかは一般の民間人には知る由もなかったが、小惑星への攻撃が可能な射程に入るとガンマ線レーザーが照射された。地球の自転により攻撃ができなくなる時刻には経度の異なる他の国が攻撃を続けた。核爆弾では軌道を変えられないと言われた直径三十キロを超える小惑星は、大国の継続的なレーザー攻撃により粉々に破壊された。そしてその細かな破片が地球の公転軌道にも広がることになった。それから毎年この軌道上を地球が周回する度に見事な流星群が観測されるようになった。

 

 小惑星が衝突するということで世界人口の半数以上が信じた終末思想はその後、どうなったのだろうか? 最後の審判が来ることを熱烈に信じていた人々は、訪れなかった終末について「嘘つき」と言って信仰から離れて行った。一方で毎年訪れる見事な流星群に魅入る人々は、この天体ショーをもたらした破壊兵器の存在を忘れることが出来ず、私たち自身がいつでも終末をもたらせるという事実を正しく恐れた。そして小惑星の落下を知らされた時よりもいっそう深い信仰を持つようになった。