イカ

 私はイカである。天敵が多い。マグロ、カツオ等の大型魚類。マッコウクジラ、アザラシ等の海洋哺乳類。カモメ等の鳥類。みんな私を狙っている。人間も私を食べる。寿司のネタになってレーンを回っている。そこそこ美味い。飽きが来ない味と言える。いろいろな敵に狙われる私たちは、常に危険にさらされて生きて来た。そして身を守る手段をいくつか持つようになった。たとえば墨を吐く。これは目くらましのためと誤解されているが、そうではない。私の吐く墨は粘度が高く水中で広がりにくい性質を持っている。それは細長い姿になり、私の分身となる。マグロやカツオは魚類の中では比較的視力の良い方と言えるが、それでも細長く伸びたイカ墨を私だと誤解してしまう。私は敵の注意を分身に引き付けさせ、その場を逃げおおせるのである。それから身体の色を海底の砂の色に似せて変えてしまう擬態も可能である。カメレオンの擬態とは違って、私の擬態は瞬時に色を変えることができる。私の皮膚には色素胞という細胞があり、この細胞には、黄色、赤、黒褐色の色素が含まれており、筋繊維を広げることで色が広がり、緩めることで色をなくすことができる。色を重ねて中間の色を作ることもできる。この色素胞で砂地や石に擬態して、天敵の目を欺くことができる。そして実は知能もそこそこ高い。無脊椎動物の中では身体に対する脳の割合が高く、身体にマーキングをつけた自己認識テストを実施したところ、サルやゾウと同様にテストをクリアした。人間で言えば六歳児並の知能を持っていることになる。軟体動物の私がである。身体の色の変化はカモフラージュだけではなく、求愛行動のようなコミュニケーションにも使っている。私たちがこのまま進化を続ければ、いつか海の覇者となり、さらに地上へも侵攻し、タコの姿をした火星人ではなく、イカの私たちが支配する世界がいつか実現するかもしれない。そんな夢みたいなことを考えていたら、J国が恐るべき軍事計画を進めていたことがわかった。私たちを兵器に利用しようと目論んでいるらしい。すでに仲間がつかまっているという情報も入った。J国と言えば、先の大戦で自爆兵器を使った国である。機体に爆弾を固定した航空機で敵の空母や戦艦に突っ込む神風特攻隊。そして海軍でも自爆兵器が用いられた。大量に爆薬をつめ込んだ魚雷に人間が搭乗するのである。魚雷が目標を外れると、潜望鏡で敵船の位置を視認し、再び突撃する。それは人間魚雷「回天」と呼ばれた。回天の搭乗員は死ぬために厳しい訓練を積んでいた。何かとても矛盾している。そんなJ国は歪んだ軍事思想の反動で行き過ぎた人権主義と共存するようになった。ナンバーワンよりオンリーワン。そして人間を大切にとの思想が、イカならいいだろう、イカなら魚雷にしても構わないだろうという発想につながったのかもしれない。こうして、イカ型魚雷「イカ天」が開発されることになった。

 

 J国に捕えられたイカたちは徹底的な思想教育を受けた。J国皇帝は神聖にして犯すべからざる存在であり、その命を受けて死ぬことは非常な名誉とされた。皇帝のしもべとして死に殉ずるのであれば、死後の天国行きが確実に約束されるのだと言う。そのため命を捧げもするし、心臓も捧げる。現状では、世界中の国々を行き過ぎた資本主義に犯されたA国が蹂躙している。各国の国民を麻薬に溺れさせ、私利私欲を貪り、国を荒廃させている。J国皇帝はそのような国際情勢を憂い、立ち上がった。陛下の御心に沿うために私たちも日々努力を積み重ねていかねばならない。思想教育を施されたイカたちは誰もがそう信じるようになった。公平公正な世界を実現するための礎にならねばならないとどのイカたちも考えた。そして訓練が始まった。イカたちは移動することに関しては初めから問題はなかった。だが兵器として機能するためには、身につけねばならない課題がいくつかあった。まずは、敵艦をどのようにして見つけるのか。これを可能にするために専用の高性能小型ソナーが開発された。どのイカたちもこれを胴の周りに身に着けた。頭なのか、胴なのか、よくわからないが。これは敵船のスクリュー音を精度よく捉えるものである。そして、敵船はこちらのスクリュー音を捉えることができない。イカたちは生まれつき身に着けている泳法で水中を移動しているだけである。敵が探針音を打ったところで、反射して返ってくる音波で認識できることと言えば、そこに魚の群れがいるということだけだろう。それが実はイカ型魚雷「イカ天」であるとは思わない。そういう訳で、こちらからは見えるが、あちらからは見えないという圧倒的に有利な状況を構築することができる。だが、それだけでは何もできない。もともとイカは攻撃手段を持っていない。墨を吐いて自分の分身を作って敵の目を欺くとか、皮膚の色を変化させて砂地や石に擬態して敵の目を欺くとか、敵から逃れることを優先させて来た種族なのだ。それに軟体動物である。地上の肉食動物のように獲物の身体を切り裂く鋭い牙や爪を持っている訳ではない。肉を食いちぎる丈夫な顎を持っている訳ではない。だいたい筋力自体とても弱い。こんな弱くて柔らかい生き物が装甲の厚い敵船に体当たりしたところで、ぐちゃっとつぶれてしまうだけである。そこで魚雷から推進力を取り外した爆弾を使うことになった。イカたちはこの爆弾を帽子のように被り、自らは魚雷の推進力として、かつ敵船を探知するソナーとして機能する。このシステムの最大の課題は、爆弾の重量をイカたちがイカに支えられるかということにあった。もうこれは根性で乗り越えてもらうしかない。でも所詮は軟体動物であった。いくら鍛えても強靭な筋力を身に着けることなどあり得ない。訓練で判明したその結果により、爆弾に浮力を与えられるような改良が施された。それくらいならば、敵船目掛けて進むだけでよい。そして、当然のことながら、魚雷が命中するということは、魚雷の推進力であるイカたちもそこで吹っ飛ぶということになる。兵士の代わりなんていくらでもいる。それで運よく敵の空母が沈めばもうけものくらいに考えていたJ国だから、イカが自爆して死ぬことなんてどうでも良いことに違いなかった。

 

 いよいよ海鮮の日となった。いや、開戦の日となった。敵の空母打撃陣を叩くには「イカ天」の活躍が必要だった。現代の戦闘においては戦闘機や駆逐艦が発射するミサイルは哨戒機によりすぐに探知され、高精度のセンサーを備えた迎撃ミサイルによって確実に破壊される。直接、相手に打撃を与えられる可能性は少ない。海中においても、潜水艦同士が互いににらみを利かせている。魚雷もすぐに探知され、迎撃される。相手の手の内は知り尽くしている。ミサイルであれば熱センサーで追尾できる。魚雷に対してはスクリュー音で追尾できる。攻撃しても迎撃される。物量で勝れば押し切れるが、互角の戦力であれば互いの攻撃を迎撃し合う状況が続く。そこで新兵器「イカ天」の登場となる。イカ天はスクリュー音のない魚雷であり、探知はむずかしいだろう。そして通常の魚雷のように単調に直進するか、ターゲットのスクリュー音を追尾するかといった動きではなく、それ自体が自律的に目標を破壊すべく戦うのである。そして、初戦でわがイカ天部隊は期待にそぐわぬ大活躍を見せてくれた。敵空母を見事に撃沈し、駆逐艦も二隻沈めた。敵の空母打撃陣はまさに壊滅的な被害を受け、環礁周辺の制海権は我々が握ることとなった。その後、敵の動きと言えば、潜水艦と航空機による偵察が時々あるというだけだった。しばらく沈黙が続いたが、一か月経って哨戒機が新たな敵空母打撃陣の動きを掴んだ。また攻め込んで来るというのか、しかしこちらには「イカ天」がある。それともこうして乗り込んで来るのは、敵もこちらの戦力に勝る新兵器を開発したということだろうか? いや、あれから一か月しか経っていない。そんなことはあり得ない。そして再び、海戦が始まった。我々の新兵器「イカ天」はあっという間に壊滅してしまった。勢いを得た敵は通常戦力でも我々を圧倒した。敵は対イカ天の対策を練り、現場海域に新戦力を投入して来た。それはイカの天敵の大型魚類。マグロとカツオの群れであった。