宇宙人が地球を侵略しない理由その一

 分厚い雲に覆われた空に丸みを帯びた銀色の物体が浮かんでいる。そこから暖かなオレンジ色の光が照射される。その光に包まれた動物や人間は、重力に逆らって光の帯の中を静かに上昇して行く。草むらの中にいた私はじっとその光景を眺めていた。そこから先の記憶が少し飛んでいる。気が付くと私はひんやりとした金属質のベッドに寝かされていた。周囲に人の気配はない。真っ白な壁に囲まれている。天井全体が明るく輝いている。塵も埃もない無機質な部屋。ベッドから降りて部屋の中を歩き、壁のすぐ近くに立ってみる。壁の白さからは不思議な温かみが伝わって来る。冷ややかに拒絶するのではなく人を引き寄せるような温かみに満ちている。突然、壁の一部が窓に変わる。きっと窓なのだろう。窓の向こうに青く輝いている星が見える。濃紺の海と見慣れた世界地図を少し歪めたような陸地が見える。あの星は地球に違いない。そしてここは遥かに地球を望む宇宙船の中に違いない。未確認飛行物体。UFO。地球外の生命体が作り出した乗り物。星間を素早く移動して宇宙を駆け巡り、遥々ここにやって来たのだろう。

「目覚めましたか?」

声ではなく、脳に直接働きかけて来る概念のようなものが私に話しかけて来る。そこに人の姿はない。それは人の言葉ではない。

「誰?」

声に出した訳ではない。自分の意識の中に自分でない者が侵入して来て、私は無意識のうちに防御しているのだろう。

「誰と言われても困ります。あなた方が名前と呼んでいるものを私は持ち合わせていないのです。名前だけではなく、自己の所属している集団の呼称もありません。生き物を区別するためにつけられた名称もありません」

相手が何を言っているのか、あるいはそれが音声でも言葉でもないのであれば、何を考えて概念のようなものを私の中に送り込んで来ているのか、理解するのは難しかった。

「あなたは宇宙人なのですか?」

きっと私は今、宇宙人と話しているに違いない。地球の外に簡単に飛び出せる乗り物にのり、テレパシーを使って話しかけて来る彼は、私の解釈では宇宙人に分類される。

「地球に住むあなた方は、自分たちのことを地球人と呼び、地球の外にいる人々を宇宙人と呼んでいるのですね。でも、地球も宇宙の片隅にあるのですから、地球に住んでいる人々も等しく宇宙人と呼ばれても良いと思います。そういう意味ではみな宇宙人です。そうであれば、あなたの質問は『あなたは地球の外に住む人ですか』ということに変換されます。それに対して私の回答は『いいえ』になります。私は人ではないのです」

人ではないということは、人工知能の類なのだろうか。高度に発達した文明であれば、人の特性をすべて備えたような、あるいは人より遥かに優れた人工知能くらい簡単に作り出せるに違いない。どんな動力を使っているのか想像もつかない恒星間航行用の乗り物を作ってしまうような連中だ。それくらい造作もないことだろう。

「私は人工知能とは違います。でも、電子的なオンオフ情報で知性を実現しているという点では人工知能と同じです。身体を失ってしまった人間とでも言いましょうか。でもそれもおかしな話ですね。身体を失ってしまったら人間とは言えませんからね。でも、存在しているとは言えます。あるいは存在を続けています」

私の思考を読み取った彼が、瞬時に回答を送って来た。嚙み合っていないと思った。私の質問に対して、相手の回答はイエスだったのか、ノーだったのかよくわからなかった。私が何か考える度に何か見当違いのことが概念として流入して来た。だんだん宇宙人の定義とか、人工知能もどきとか、どうでも良いような気がして来た。それより、相手が私をここに連れて来た理由を知りたかった。それに加えて私は地球に戻れるのだろうかという不安があった。連れ去られて何かの実験台にされてしまうかもしれなかった。

「あなたを連れて来た理由ですか? それは私にあると言うよりは、あなたの方にあるのです。私にはもう何かをしようと欲することはないのです。身体を失った時に、欲望も失ってしまいましたから」

今のは、半分答えになっているような気がした。私には以前から疑問に思っていたことがあった。どうして宇宙人は地球を侵略しないのだろうか? 映画やアニメーションでは、いつも圧倒的な科学力を持った宇宙人が脆弱な地球軍を圧倒し破滅の淵へと追い込んでいる。いつでも私たちを滅ぼせる程の科学力を持った彼らが、地球に対して牙を向けないのは何故か? 宇宙人に会ったらぜひ聞いてみたいと、私は随分前からそんなことを考えていたのだった。きっと彼らは好戦的な種族ではないというのが私の推測だった。私たちの力が到底及ばない圧倒的な科学力を築くためには、文明の継続が必須に違いない。彼らが好戦的な種族であったなら、初期の段階で核兵器による全面戦争に陥り、滅んでしまうだろう。ちょうど私たちはその危機にある。その危機を回避するためにも、彼らに聞いてみたいと思っていた。

「どうして、あなた方は地球を侵略しようとはしないのですか?」

私の思念を彼らは易々と読み取っているには違いないだろうが、声に出して聞いてみた。それが礼儀に適ったものであるような気がした。

「侵略という行為が何を指し示しているのか。私たちはずっと前に忘れてしまったような気がします。ちょっと待ってください。今、あなたの思念の中にある侵略という行為に対するイメージを取り込みます。所有する陸地の面積を増やす。所有する金品を増やす。敵対する相手を暴力で屈服させる。つまり、自分の抱いた欲望は何であれ実現するということですね。そういうことでしたら、私はこの星の何かを欲しいとは考えていません。この星の何かというより、そもそも欲しいものがないのです」

ずば抜けた科学力を手にした宇宙人というのは欲望を超越した存在なのだろうか。ふと、そんなことを考えた。私利私欲に振り回されてしまう人間。いや、地球人というのは、なんてあさましい生き物なのだろう。仏教でいうところの悟りを開いた人たちを相手にしているのかもしれない。そんな人たちに敵う訳がない。

「いいえ、そういうことではありません」

私の思念を読み取った彼が語り掛けて来る。

「あなた方の中に極めて稀に存在する欲望を超越した聖者と私たちは違います。私たちは身体を失う時に欲望も失ってしまったのです。これは冒頭で言ったことでしたね」

そうだった。だが、身体を失うというのはどういうことなのだろう?

「ずっと昔、私たちが生きていた頃、私たちは互いに争っていました。今のあなた方と同じです。領土の拡張を掲げ、兵器の開発に力を注ぎ、相手をねじ伏せることをずっと考えていました。そして互いを地上から何度も消し去ることの出来る程の兵器を保有していました。何かのきっかけで戦争が勃発すれば、私たちは惑星ごと消えてしまっていたかもしれません」

「何があったのですか?」

「その頃には争いとはまた別にたいそうな議論になった問題がありました。生きることの根幹に関わるようなことです」

「生きることの根幹?」

「生きていればやがて迎えることになる死を回避しようとする人々が現れました。自分の存在を最も尊いものだと遺伝子に刻まれて生まれて来た生き物が、将来、訪れる自分の死を受け入れられるはずはありません」

「そうですね」

「その頃にはもう、人の脳の中で生じている活動のすべてを電子的に実現する方法は確立されていたのです。記憶素子と記憶素子相互の接続が膨大な数にまで積み重なって、巨大な情報処理システムとなり、意識と呼ばれる現象もそのシステムを時系列的に処理するための仮想的なものにすぎないということは、もうその頃にはわかっていたのです。でも、その仮想的なものは自分の存在が消えてしまうことを殊の外恐れていました。自己が永遠に存続することを願っていました。でも有機体である生命はやがて滅びます。肉体は寿命を迎えます。そうなる前に自分の脳の中にあるすべての情報を丸ごと電子の脳に移してしまおうとする人々が出て来ました。そして元の肉体が滅んでしまっても、そのコピーである無機質な電子の脳が存在を続けることになったのです。ですから、私たちは人ではなく、人工知能でもなく、そして身体を持たないのです」

なんとなく理解できそうな話だった。科学技術の発達した未来に復活する可能性を信じて、死後に自らの身体を冷凍保存するように指示している人もいる。かけがえのない自分を消滅させないように計らう。宇宙の片隅で実際にそういうことがあったのだろう。

「しばらくして、誰もが永遠の命を欲して自分であることのすべての情報を電子的なシステムに移すようになりました。やがて有機体の生命はすべて滅び、電子的な意識として存在する私たちだけが残りました。私たちは有機物で構成された有限な身体とは決別した存在であり、身体を持たないことで遺伝子の支配をも逃れるようになったのです。食物を摂取する必要もなく攻撃性は意味を失くしました。わすかな電力さえ供給してもらえればずっと存続できるようになりました。欲望も攻撃性も失くした私たちは、互いに争う必要がなくなりました。核戦争で文明自体が滅びる未来は回避されました。それからはずっと思索にのみ専念しているのです。欲もなく、することもない私たちに残されたのは考えることだけだったのです。やがて恒星間を航行する宇宙船も出来上がりました。重力の影響を自由に操ることで推進力を得ることが出来ます。そして私はここにやって来ました」

彼の話を聞いて、彼らが地球を侵略する気がないことがよくわかった。彼らはもはや生きてはいないのだろうと思った。生きていない者は侵略する必要なんてないのだろう。

「私は役目を果たせたでしょうか?」

電子的な情報の総体である彼が言った。

「あなたは十分に役割を果たしたと思います」

私は率直にそう言った。別に嘘偽りはない。聞きたいことは聞けた。それは、私が思い描いていた未来で役に立つものではなかったかもしれない。

「そう言っていただけるとうれしいです。誰かの役に立てるのは、とても素晴らしいことです。なんですかね。人間だった頃の習慣が私の中に残っているのかもしれません。それが私に何かしら指示しているようなのです。誰かの役に立てるように宇宙をいつまでも駆け抜ける。それが私の生涯の役割なのだと」

「ありがとうございました。一つお願いがあります。私を地球に戻してもらえないでしょうか?」

「もちろんです」

やがて私の乗った宇宙船は大気圏への突入を始めた。特に難しいことでもないようだった。宇宙船は地表近くに達したようだった。オレンジ色の光に包まれて、私は地上に運ばれた。見上げると銀色に輝く見事な機体が私の頭上に留まっていた。別れを惜しむかのようにいつまでもそこにいた。

「ありがとうございました。また他の星に行って、あなたの話を聞かせてあげてください。私はもう大丈夫です」

そう言うと銀色の機体は上空に消え去った。何かとても大切なことを聞いたような気がした。分厚い雲の切れ目から、一筋の光が射し込んで来た。これからやらなければならないことがたくさんあるような気がした。