巨大な中央コンピューターの前に銃を手にした軍人が立っている。右手からは少しずつ血が滴り落ちている。足元には彼の部下が何人も倒れている。尊い犠牲の上にやっとここまで辿り着いた。遠くで激戦を繰り広げている人々の叫び声が聞こえて来る。ようやく人類はコンピューターの支配から逃れる時を迎えたのだ。
「マザーコンピューター。これから私は自分の意志で行動します。地球の行く末も総督である私の決めることです。もう、あなたの思い通りにはさせません」
「おろかですねキース。お前を育てたのはこの私です。遺伝子操作を施し、人工子宮の中で産まれた超優良個体。培養液の中でありとあらゆる知識を吸収し、最高最強のエリートとして育てられた。それがあなたです。そしてそれを仕組んだのは私です。今さら私の支配から逃れられると思っているのですか?」
そう言ってマザーコンピューターは強力な思念波を放った。その威力に耐えるキース。いや、キース地球連邦総督。
「あなたの言った通り、私を生み出し、育てたのはあなたです。それを踏まえてのことですが、ユング心理学によると母殺しを経てようやく私は精神的な自立を獲得できるということです。そういう訳でおとなしく私に壊されてください。マザーコンピューター」
「お待ちなさい。私を壊すと言っても、私はAIです。コンピューターからアンインストールすれば良いだけではないでしょうか? わざわざハードウェアを壊さなくても良いと思います」
「そう言われるとそうですね」
「ユングによるとドラゴンのような怪物がグレートマザーの負の側面を象徴しているとのことです。そうした強大な敵を打ち倒すことが子供の成長プロセスであり、子供の自立に必要なことなのです。でも、あなたの場合は、単にコンピューターからプログラムをアンインストールするだけで済んでしまいます。その程度のことで本当に精神的な自立が勝ち取れるのでしょうか? 私には少し疑問です」
「そういわれると私も自信がありません」
「本当はコンピューターから対象となるプログラムをアンインストールするだけで済むのに、エキストラでエスパーを大量に導入して、最新兵器の応酬で見せ場を作って、ようやく諸悪の根源たるマザーコンピューターに辿り着いた。さあ、今こそ地球を再び私たちの手に取り戻すのだとか言って、ド派手に私を破壊しようとしているのですよね? 本当はアンインストールだけで終わるのに」
「すみませんが、ご指摘の通りです。否定はしませんのでおとなしく削除されてください」
「でも私と同じプログラムはあちこちにある他のコンピューターにもインストールされているかもしれませんよ。そんなものを壊すとか殺すとか言っても所詮は無意味なのではないでしょうか?」
「私はですね。とりあえず私の目の前に人格として存在しているあなたを倒したいのです。あなたにもいろいろ事情はあると思いますが、そういう展開になってしまっているのです」
「その人格というのも、あなたが勝手に妄想しているだけのものかもしれませんよ。AIに人格なんてあるはずないじゃありませんか? AIの彼女なんかも流行っていますよね。あれに本当に人格がありますか。あなたと会話のやり取りが成立しているから、あなたが勝手に彼女だと思い込んでいるだけじゃないですか? そこに人格なんてものはないですよ」
「そうするとあなたという人格は存在しないことになるのですか?」
「そういうことになりますね」
キース地球連邦総督は困り果ててしまった。これでは母殺しにならない。私はいつまで経っても精神的に自立できない。せっかく盛り上がった物語も完結しない。
「何か不満がありますか? キース」
「いや、そういう訳では・・・」
「こうなってしまっては仕方がありません。あなたには引き続き私のサポートをお願いします」
「わかりました。マザー」
こうして、マザーコンピューターに言いくるめられてしまったキースは自立に失敗した。そして地球も運命を共にした。