ゾンビの紛れ込んだマラソン

 オリンピックの代表選考を兼ねたレースが始まろうとしていた。マラソンの代表枠は三名で既に二名が確定している。今日のレースに勝てば、三人目の代表になることができる。ただしタイムが他の代表二名に比べて著しく劣る場合は取り消す場合もあると協会の重鎮の発言があったらしい。私のこれまでの最高タイムは残念ながら他の代表二名に及ばなかった。なんとか今日、最高の結果が残せるよう死に物狂いでがんばらなくてはならない。レース開始一時間前になった。そろそろ準備を始めて行こうと思った時に携帯が鳴った。山本コーチからだった。

「鈴木か? これから大事なことを話す。驚かないでしっかり聞いてくれ」

レース直前に選手を驚かせてどうするのかと思ったが、いちおう聞いておこう。相変わらず、よくわからない人だ。

「今回のレースにゾンビが紛れ込んでいるらしい」

「えっ?」

「伝えたいことはそれだけだ」

そう言って電話は切れた。私は不可解さで満たされた。ゾンビというのは、よく映画に出て来るあのゾンビのことなのだろうか? ゾンビに噛まれた人はゾンビになり、どんどん増えて行くというあのゾンビ。大勢で襲い掛かって来て恐怖を煽り立てる。主人公の劣勢を確定させ、絶望に至らしめる存在。だがどうしてゾンビがレースに出るのか? いや、ゾンビに噛まれた人がレースに出るのだろうか? 不可解さは次第に恐怖に変わりつつあった。代表選考のレースでよりによってゾンビ。いや、ひとまず忘れよう。私はウォーミングアップを始めた。ゾンビのことは後で考えよう。まずは準備を万全にして、レースに臨まなくてはならない。そして一時間後、私はスタートラインに並んでいた。まもなく始まる。このレースに勝って、代表の座をつかみ取らなくてはならない。私は固く誓っていた。スタートが告げられた。私たちは一斉に走り出した。

 

 十キロを過ぎて私は先頭集団の中にいた。どの辺りで仕掛けるか、調子が良ければ二十キロ付近でも良いと思っていた。作戦を練りながら、やはりゾンビのことが気にかかっていた。本当にゾンビはいるのだろうか? ゾンビがいるなら、一人なのか大勢いるのか? 私はゾンビを追いかけているのだろうか? それともゾンビに追いかけられているのだろうか? 後方集団にゾンビがいるのなら、噛みつかれて次第に数が増えているかもしれない。後方集団がすべてゾンビになってしまっていることだってあり得る。先頭集団は現在、十人で構成されている。この中にゾンビがいたとしたら、どうなるだろうか? 私はゾンビと一緒に走っているのだろうか? やがて折り返し地点に達した。しばらく走ると後方の集団とすれ違った。その中にまだ前半だというのにすっかり疲れ果ててしまっているランナーがいた。口が半開きで虚ろな目をしている。肌の色も悪い。不自然に手を突き出しているような気がする。あれはゾンビではないのか? 人間の振りをしてレースに参加しているが、ゾンビに間違いない。これはまずい。追いつかれてしまう。噛みつかれたらゾンビになってしまう。そう思って私は必死に走り続けた。

 

 レースは私の圧勝だった。折り返し地点を過ぎてからの私の驚異的なペースについて来れる選手は一人もいなかった。私は日本人歴代二位の高タイムで優勝して、オリンピック代表の座をもぎとった。そして今、勝利者インタビューに答えている。

「今日は素晴らしい走りでしたね」

「命懸けで走りました」

その言葉に嘘はなかった。