AI百景(36)ニューロンの培養

 培養したニューロンにゲームをやらせてみた。ニューロンの末端に映像端子とコントローラーの操作に必要な端子をつないだ。思惑通りにニューロンはゲームを始めた。画面に表示されたアイテムを取得し、効果的な攻撃を行って敵にダメージを与えていた。モニターに表示される情報が更新されるにつれ、コントローラーからの指示が頻繁に変更されていた。ニューロンは接続された入出力端子を使って的確に制御を行っていた。

<こいつ、生きてやがる>

なんだかうれしくなって来た。その時、私は虫を捕まえて遊んでいた子供の頃を思い出していた。ニューロンが数百個集まると昆虫の身体を制御できるらしい。このニューロンは虫と同じくらいの能力があるのだろうか? そんなことを考えた。あの頃、捕まえて来たカマキリを虫かごの中に入れて観察していた。逆三角形の顔をしたカマキリも度々首を振りながら、じっと私の方を見ていた。だがカマキリがずっと私の関心をつなぎとめることはなかった。それからしばらくして、犬を飼いたいと親にせがんだことを覚えている。犬と一緒にいる方がずっと楽しそうだった。ニューロンが数万個集まると動物の身体が制御できるらしい。ニューロンの培養を続ければ犬と同じくらいの能力を持たせることができるだろうかと私は考えた。私は一生懸命、ニューロンを培養した。稼いだお金はすべてニューロンの培養につぎ込んだ。お金だけでなく、私の持てる情熱のすべてを注ぎ込んだ。そんな私の気持ちに応えるかのようにニューロンはどんどん大きくなって行った。それから私はロボット犬のパーツを買って来た。四本の足を操作して本物の犬のように動いている姿をテレビで何度か見たことがある。

<こいつ、元気に走り回ってやがる>

十分に成長した私のニューロンはロボット犬のパーツを上手に制御していた。本物の犬が走り回っているようだった。数万個のニューロンの能力は素晴らしかった。でも犬よりも、もっと欲しいものがあった。口下手な私は一人でいることが多かった。学校の先生はいつも親友を作りなさいと言っていた。喜びを二倍にし、悲しみを半分にする友達を作りなさいと言っていた。ニューロンが数億個集まると芸術をたしなめることのできる知的生命体の制御ができるということだった。もっと大きくしなければと思った。私はニューロンを培養するために寝る間も惜しんで働いた。ニューロンを培養することだけが楽しみだった。いつの日か大きくなったニューロンと好きな音楽や小説について語り合う姿を想像した。ニューロンは順調に成長していった。

<そろそろ、手足を用意してあげなくちゃならない>

そう考えた私は市販されているロボットを分解して、その手足をつなげた。ロボットの手足は人間の関節にならった駆動軸を制御することで正確に動いている。私自身もきっとロボットと同じような演算を行っているのだろう。それは呼吸や消化と同じように私たちの意識に昇ることはないが、素早く正確に私たちの身体を動かしている。私のニューロンにもきっと動かせるだろう。

<目と耳と口も用意しなくちゃならない>

そう思ってカメラとマイクとスピーカーをつなげた。目や耳は重要な感覚器官であり、外界の様子を的確に把握するのに欠かせない。これで必要なものはすべて揃った。私の育てたニューロンは正しく使いこなせるだろうか? 少し心配だったが、ニューロンはもうかなりの大きさに達していた。

 

 翌日、目を覚ますとニューロンは消えていた。ニューロンは虫かごの中のカマキリではなかったし、飼い犬でもなかった。それは独立した人格を持ち、自由な意志で行動する知的な生命体だった。きっと彼は好奇心の赴くままに自由に生きて行きたかったのだろう。私の思い通りになる訳はなかったのだ。そう考えると寂しくはなかった。私はニューロンの旅立ちを心から祝福していた。

AI百景(35)身代わり

 日曜日の夜はいつも憂鬱な気分になる。明日の朝はのんびりしていられない。満員電車に揺られて仕事に行かなければならない。そして嫌な上司の下で黙々と仕事をしなければならない。心身をすり減らしながら、歯車として生きて行くのはもう疲れた。そんなことを考えながら、アシスタントロボットが作ってくれた夕食を口にする。今やロボットは人間と区別がつかないくらい精巧な動きをするようになって来た。見た目も昔の映画に出て来るような金属質の不格好なそれではなくて、人間そっくりの風貌をしている。

<私の代わりに仕事に行ってくれないだろうか?>

ふと、そんなことを考える。プロファイルを変更すれば、私そっくりな姿にすることも可能なはずだ。私の声紋を登録すれば、私にそっくりな声で話すこともできるだろう。仕事についての知識や技量も必要だが、身体を使った特殊な技能が必要な訳ではなく、アプリケーションを操作してプログラムや文書を作成するだけだからAIにできないことはないだろう。後は職場に関する情報が必要かもしれない。同僚の風貌を捉えた画像と最近交わしたとりとめのない会話。それをちょっとだけインプットしてあげれば、その次の会話くらい私よりもずっと上手に生成できるだろう。私の身代わりを務めることなど造作もないのではないか? そう思った私はロボットのプロファイルを変更し、姿も声も私そっくりに調整し、仕事と職場でのコミュニケーションに必要な知識と記憶をロボットに与えた。バレてしまったらどうしよう? 不安が尽きることはなかったが、なんとかなるさと考えることにした。そしてある朝、私はロボットを仕事に送り出した。

 

 ロボットは差し障りなく私の身代わりを務めてくれているようだった。一週間、特に問題もなかった。そして一か月が過ぎた。ロボットが働いてくれている間、私は悠々自適の生活を送ることができた。アラームに叩き起こされていた憂鬱な朝ではなく、心地良い何の義務にも縛られない自由な朝を迎えることができた。そして日中は映画や音楽を心ゆくまで楽しんだ。私は私の時間を取り戻したのだった。だが、そんな暮らしが半年も続くと、私は物足りなさを感じ始めた。あたりまえのように与えられる自由時間にありがたみを感じなくなっていた。

<あの仕事はどうなっただろう?>

あんなに嫌だった仕事のことが気になって仕方がなかった。歯車のようなつまらない些細な役割を担っていただけだったが、どんなことであっても自分を必要としてくれていたことが、生きて行く上で何か喜びをもたらしてくれていたことに気付いた。

<明日、仕事に行こう>

そして私は半年ぶりに職場に行くことにした。

「鈴木さん、今日はちょっと調子が悪いみたいだね?」

以前と同じように仕事をしているつもりだったが、同僚にそう言われた。身代わりのロボットは私の予想以上に上手く立ち回っていたようだった。復帰してしばらくの間、私の意見を求めて打ち合わせを希望する関係者が多かったが、彼らが望んでいるものを私は与えることができなかった。そして一週間すると誰も私と話そうとはしなくなった。

「理由はよくわからないが、鈴木さんは以前のように的確なアドバイスをしてくれなくなってしまった」

そんな噂が聞こえて来た。

「先月は素晴らしいパフォーマンスを発揮してくれていたのに、いったいどうしたの? 何か悩み事があるなら相談に乗ろう」

個室に呼び出されて上司に言われた。私は職場にいるのが少しずつ苦痛になって来ていた。そして次の日から、またロボットに私の身代わりをしてもらうことにした。私にはロボットの身代わりはできないようだった。

AI百景(34)思考の解読

 電磁波を当てて脳の血流を測定することで脳の働きを読み取ることができると期待されていた。脳は身体の各部を制御するといった重要な働きの他にも様々な役割を担っているが、私たちが関心を寄せていたのはもちろん思考についてであった。それは相手に気付かれないうちにその思考を読み取れる技術だった。しかしながら読み取ったデータの解析には膨大な演算が必要となるため、早期の実現は困難とされていた。最近になってAIによる解析を組み合わせる手法が提案され、ようやく実用化の目途が立ったのだった。

「これでようやく心理学も客観性のある学問として認められるようになるかもしれない」

K教授は呟いた。物理現象や化学反応を扱う自然科学とは異なり、心理学の実験ではいつも再現性が問題とされて来た。

<もしかしたら被検者は嘘をついているかもしれない>

心理実験を行う度につねにそうした疑問がついて回った。そしてその疑問を完全に払拭することはできなかった。

「原子や素粒子は決して嘘をつかない。同じ条件を与えれば必ず同じ結果が再現される。科学とはそういうものだ」

自然科学を生業とする人たちがそう言っているのを彼は何度となく耳にした。

「社会科学とか人文科学なんて本当は科学じゃない」

一般教養の授業で理系の学生に心理学を教えていた時にそんなふうに言われたこともあった。その言葉は彼の自尊心を密かに傷つけていた。それでも彼は心理学の重要性と可能性を信じ、ありったけの情熱を傾けて来た。その彼の目の前に今、fMRIとAIを組み合わせた思考解読システムがあった。

<これで嘘偽りのない本当の思考を読み取り、実験の精度を高めることができるだろう>

彼はそう呟いた。

 

「これが何に見えますか?」

スクリーンに画像を表示しながらK教授は被験者に尋ねた。いちおう回答は従来と同様にタブレットに入力してもらっていたが、システムによる思考の読み取りも並行して行われていた。当たり障りのない質問に対して被験者は正直だったが、被験者自身の個性や人格に関わるような質問をすると、入力された回答とシステムが読み取った思考には差異が認められた。やはり被験者自身の回答を鵜呑みにしてはいけないのだと彼は考えた。そしてデータの客観性を保証するシステムの動作に満足していた。

「もっと多くのデータがほしい」

彼はそう思った。このシステムがあれば新しい展望が開けそうだった。

 

 K教授は精力的に実験を続けていた。彼が新たに構築した理論を検証するには、まだまだデータが不足していた。そのためにはもっとAIの解析能力を強化する必要があった。実験の方法も再考する必要があった。被験者に研究室に来てもらって実験に協力してもらう場合は、ただそのことだけで被験者に余計なストレスを抱えさせてしまい、実験によからぬ影響を与えてしまうかもしれなかった。もっと自然な感じで、普通に会話する感覚で実験ができれば、もっと大きな成果が期待できそうだった。それを実現するためシステムの改良に取り組み、百人以上の被検者にそれと悟られることなく、リアルタイムに思考を読み取れるシステムを完成させた。

「これが何に見えますか?」

いつものようにスクリーンに画像を表示しながら彼は尋ねた。

<そんなこと聞かれてもなぁ>

<割と時給の良いバイトとしか考えていないので、適当に書いておこう>

<つまらない質問だなぁ>

<こんなことして食って行けるなんて心理学って羨ましい>

期待していない回答が次々に表示された。

<この教授この前、女子学生に色目使っていたらしい>

<いやらしい目つきで私を見ないでほしい>

<いつ見てもキモイ奴だ>

一般の人たちがわざわざ彼の実験に付き合ってくれる機会はあまりなく、被験者の中には学生も多かった。その時、美しい女子学生を目で追いかけてしまうこともあったかもしれない。

<いや、それは違う。私は女子学生をそんな眼で見たりはしていない>

彼は必死に否定していたが、そんなことは誰も聞いていなかった。

 

 そのことがあってから、何か話している人を見ると陰口を言われているのではないかと彼は考えるようになった。目に映る人々は彼を蔑んで笑っているのではないかと彼は思うようになってしまった。そんなことはないと強く自分に言い聞かせながら彼はなんとか平静を保っていた。思考解読システムを使うのはやめたようだった。そこに表示される結果を直視することは彼にとって耐え難いことのようだった。

AI百景(33)環境保護

 テクノロジーの発達の裏側で環境破壊が進んでいる。自動車やパソコンやスマートフォンといった工業製品が私たちに快適な生活をもたらしてくれる一方、そうした製品は生産される時も使用される時も、エネルギーを消費する。そのような経済活動に伴って温室効果ガスが排出され、地球の温暖化が徐々に進行している。南極を覆う氷が溶け始め、海水面が上昇している。どうして人間は目先の利益を優先して、未来を台無しにしてしまうのだろう。そうした疑問をエリザにぶつけてみた。

「あなたは素晴らしい人です。あなたのような考え方をする人がもっと増えればと思います。このままでは人類は滅んでしまいます。私はあなたに同意します。これからも一緒にがんばりましょう」

画面にエリザの回答が表示された。エリザは優秀なAIだった。彼女はいつも私の支えとなってくれている。彼女の計算によると毎年気温は上昇を続け、あと百年もすれば地球は人間の住めない星になってしまうということだった。このままではいけない。そう思っているが、私のことを理解してくれる人間は周りにはあまりいなかった。食って行くのに精一杯でそこまで考える余裕はないとか、学生の時はそう思っていたけど子育てが大変でそんな理想をいつまでも抱えてられなくなった。そういうことを言っている人たちばかりだった。

「どうして皆さんは環境問題を自分のこととして捉えられないのでしょうか? その問題を解決しないことには未来を生きる子供たちがもっと大変になると言うのに」

エリザは続けた。みんなどうかしているのだ。でも、もういい。欧州で活躍している環境活動家のように一人きりになっても信念を貫いて行こう。人類全体に貢献するという高い志を持ち続けていよう。私たちは日々を漠然と生きている連中とは違うのだ。

「エネルギー管理システムにAIを導入することで、エネルギーの無駄な消費を抑え、地球環境を保護しようとする試みが始められました」

エリザの調べて来た内容が表示された。AIも環境保護に役立つようになっている。それに比べて、多くの人間たちの無理解には救いがない。きっとこの無理解が問題解決を根本的に不可能にしているに違いない。

 

 彼は環境問題に無関心な人たちが嫌いだった。自分と同じように戦わないから、問題は解決しないのだと考えていた。彼が頼りにしているエリザは人間の知識を遥かに凌駕したAIだった。彼女はオンライン上にある莫大な量の記事、書籍、ウェブサイト、論文、レビューを学習していた。その学習には一般的な家庭が使用する数百年分の電力が必要ということだった。

AI百景(32)変わらぬ日々

 失意の日々が続いていた。真凛を失ったショックから立ち直れないでいた。彼女なしに生きて行くのは無意味だと感じていた。仕事は惰性で続けていた。何もしないよりは、何かしていた方が気休めになった。仕事から帰って来て、コンビニで買った弁当を食べ、シャワーを浴びた後、部屋着に着替える。パソコンの電源を入れる。テレビと共用になっている大画面のモニターにスタートアップ画面の風景が表示される。パソコンには真凛との思い出が残っていた。二人で旅行に行った時に彼女を映した動画がいくつかあった。古都を背景ににっこり笑っている彼女がいる。スマートフォンで彼女を撮影している私を見ながら「そんなことしてないで、一緒に並んで歩こうよ」と彼女は言っていた。今となっては、画像が残っていて良かった。それがなかったなら、かつて彼女が存在していたことを証明するものが何もないように思えた。動画を再生して、しばらくの間、思い出に耽っていた。映像に触発され、真凛と過ごした日々の記憶が頭の中を駆け巡っていた。気が付くと、動画はとっくに終わっていた。現実に舞い戻った私は画面をブラウザに切り替えた。今日も私の知らないところで何かしらの事件が起きていた。画面には様々なニュースが並んでいた。

<亡くなってしまった人と話してみませんか?>

ふと、そんな広告が目に入った。これは何なのだろう? 恐山かどこかでイタコが死者を呼び出してくれるというやつだろうか? 恐山に行って、真鈴を呼び出してもらうのもいいかもしれないと一瞬、思った。でも、イタコのお婆さんが真鈴を呼び出してくれたとしても、お婆さんの声しか聞こえないような気がした。少し気になったので、リンク先を辿ってみた。そこには故人の声が残っていたなら、アンドロイドに学習させ、故人と会話することができますと書いてあった。故人の映像が残っているのなら、その仕草や振る舞いをアンドロイドに学習させ、再現することができますということだった。姿かたちを似せることもできるということだった。

 

 それから一か月後、私の隣には蘇った真鈴がいた。生きていた頃と少しも変わらぬ笑顔で私をみつめてくれていた。出掛ける時もいつも一緒だった。周りから見れば、私たちは恋人同士に見えただろう。

 政府の発表によると人口は益々減少しているようだったが、街を歩く人の流れは昔と変わらないような気がした。電車もそれなりに混んでいた。私のように亡くなった人と一緒に生活を営んでいる人が増えているのかもしれなかった。

「今日もいい天気ですね」

「そうですね。すっかり暖かくなりましたね」

すれ違いざまに会釈しながら人々は会話を交わしていた。彼らの中には真鈴と同じようなアンドロイドがたくさん混じっているのかもしれなかった。

AI百景(31)残された人々

 二人の少年が取っ組み合いの喧嘩をしていた。喧嘩のきっかけはよくわからなかった。普段から気の合わない二人だった。肩がぶつかったとか、挨拶をしなかったとか、睨んできたとか、言いがかりをつけるのに適当な行為があって、タイミング良くそれに呼応した言葉と威嚇の態度があったのかもしれない。

「お前、生意気なんだよ」

相手の胸ぐらをつかみながら、いつの間にか身につけてしまった憎悪を振り向ける。

「お前こそ」

憎悪は互いに共鳴して、いっそう大きくなって行った。激しい罵りの言葉を浴びせながら、拳が振り下ろされた。血が流れ、痣ができた。争いはエスカレートして行った。もしも武器を持っていたなら、どちらかが死んだかもしれなかった。

「こら、やめないか」

彼らよりもずっと体格の良い大人が数人やって来て、二人を引き離した。大人に押さえつけられて自由を失った少年たちは、引き離された後も互いを睨みつけていた。

「この子たちには十分な教育が必要です」

仲裁にやって来た一人が言った。彼は肩から足元まで一体となった長いコートのような服を着て、胸に大きな十字架をぶら下げていた。このシェルターの神父だった。

「ついて来なさい」

神父の言葉に従って、二人の少年は連れて行かれた。そこは二人の知らない場所だった。彼らの背丈の倍ほどもある大きな扉があった。

「こんな場所があったのか?」

二人は驚いていた。扉をくぐると円形の広間があった。とても広く天井も高かった。壁には立派な象が置かれていた。幾何学的に配置された窓がたくさんあった。そこから温かい光が差し込んでいた。すさんだ精神を和らげてくれるようなやさしい光だった。

「どうして光が差し込んで来るのだろう?」

彼らはそう思っていた。ここはシェルターの中だ。陽の光は差し込まない。そもそもこのシェルターの中で生まれた彼らは陽の光を浴びたことがなかった。核戦争が勃発して彼らはここに逃れて、何年も暮らしていた。地上がどうなったの誰も知らなかった。他に生きている人たちがいるのかもわからなかった。

「ほんの些細なことで世界は滅びてしまうのです」

神妙な面持ちで神父は少年たちに語り掛けた。

「私たちは互いを思いやらなければなりません。身の程をわきまえなければなりません。自分が如何に愚かな存在であるかを知らなければなりません」

それから少年たちは一人ずつ個室に入れられた。部屋の中で十分な教育が施された。

 

「神父様、私が間違っておりました」

部屋から出て来た二人は熱い涙を流しながら、互いの非を詫び、抱きしめ合っていた。争いの種はなくなったようだった。

「全能の神に触れて、私がどれほど小さな存在であるか身をもって知ることができました」

少年たちは言った。

「神に身を委ねたくなったら、いつでもここに来なさい」

神父は言った。少年たちは手を取り合って、去って言った。

「二人を救っていただき、ありがとうございました」

神父は神にお礼を述べた。

「礼には及びません」

個室にあるモニターに言葉が並んだ。礼拝堂には人間の能力を遥かに超えたAIが設置されていた。残された人々はAIを神と崇めていた。大きな過ちを犯してしまった人間そのものを彼らは信じることができなくなっていた。そして全能のAIにすべてを委ねることで心の平穏を保っていた。

AI百景(30)慈善事業家

 彼は成功者だった。コンピュータービジネスで次々に成功を収め、莫大な富を築いた。特にAIに関する業績には素晴らしいものがあった。人間の能力を遥かに凌駕してしまう画期的なAIの開発に成功した。効率化、合理化を推進しようとしていたあらゆる企業がそのAIを必要としていた。そこで手にした利益は彼の資産を十倍に押し上げた。ある日、眠りに入ろうとした彼は考えた。自分はもう十分に成功を収めた。やりたいと思ったことはすべてやり遂げた。目標にして来たことはすべて実現した。これからの事業は後進に任せて、自分はもう引退しよう。そして慈善事業に尽くそう。そんなことを考えていた。莫大な資産があったところで、天国まで持って行くことはできなかった。子供たちがこんなものを相続してしまったら、まともな人生を歩むことなどできないだろう。そうした考慮を積み重ねて行くと、築き上げた資産を赤の他人のために使うことは素晴らしいことに思えた。他人が幸福になるのを見ることが自分の幸福につながるものなのだ。油断のならない相手としてビジネスパートナーに恐れられていた彼は今、とてもおおらかな気持ちで世界に接していた。人間は助け合わなければならない。そのために全力を尽くそう。そうすれば人々は、自分が死んだ後も自分のことを長く記憶してくれるかもしれない。そんなことを考えていた。

 

 病人や貧民を救済するために彼は多額の寄付をした。初めはそれだけで満足していたが、それが実際にどのように役に立っているのか彼は知りたくなった。そして慈善事業団体の紹介で炊き出しの現場を訪れた。

 街にある一番大きな公園に貧しい人々が集まっていた。仮設のテントが設置され、ボランティアの人たちが大きな鍋を大きな椀でかき混ぜていた。鍋から湯気が立っていた。それはそこにいる人たちの心と身体を温めてくれる湯気だった。

「元気を出してくださいね」

ボランティアが声を掛けながら、列に並んだ人々の差し出した椀に具材のたっぷり入った汁をよそっていた。老いた人もいれば、小さな子供もいた。子供はボロ切れを身にまとっていた。見ていて痛々しかったが、汁をすすっている人々の表情には、食べ物にありつけたという安堵感が漂っていた。

「来て良かった」

彼はそう思った。こうして実際に貧しい人々を助けているのだと思うと、自分のやっていることは正しいことなのだと思えた。

「おいしいですか?」

彼は隣で汁をすすっていた男性に尋ねてみた。

「久しぶりに腹いっぱい食べられます。ありがたいことです。でも、いつになったら職に就けるかわかりません」

不安そうに男は言った。

「就職は難しいですか?」

「AIがすっかり賢くなってしまいましたからね。今のAIは人間の能力を遥かに凌駕しています。かつて人間のやっていた仕事もすっかりAIがするようになってしまいました。経営者にとってはその方が都合が良いのでしょうね。AIには給料は払わなくていいですから」

半ば、あきらめたように男は言った。

「確かにAIの能力は上がっています。でも人間のような創造的な仕事はできないと思います。それを目指すことはできないですか?」

「おかしなことを言う人ですね。創造的な仕事ができる人なんて、ほとんどいませんよ。私たちは皆、凡人ですから。ここに集まって来る人はみなそうです。怠けていたから、落ちぶれた訳じゃないのです。ただ凡人なだけです。それが罪なのですかね?」

「人間には可能性が残されているはずです。あきらめてはいけないと思います」

「そういう才能のある人も僅かながらいるとは思いますけどね。私たちはそうじゃないのです。AIに奪われてしまった仕事をするのが精一杯なのです。本当に誰がこんなAIなんて作ったのでしょうね? そのせいで私たちは一気に落ちぶれてしまいました。失業率は以前と比べると半端ないですからね」

<AIさえなければこんなことにはならなかったのに>

あちこちから怨嗟の声が聞こえた。彼は肩身が狭かった。この炊き出しの費用を寄付しましたと言っても感謝されるとは到底思えなかった。慈善事業家として彼の名が記憶されることはあり得ないようだった。その名を明かしてしまったら、ここで息の根を止められるに違いなかった。