胡蝶の夢

 私は蝶になっていた。蝶になって心ゆくまでひらひらと空中を舞っていた。眼下にお花畑が広がっていた。時折、鮮やかな花弁に舞い降りて、細長い口を突き刺し、甘い蜜を心ゆくまで堪能した。暖かな春の陽射しがすべての生き物に等しく降り注いでいた。あらゆる生きとし生ける者たちが祝福されていると感じられる一日だった。幸福に満たされながら、私は花弁から飛び立った。この幸福はいつまでも続くと思われた。

 

 はっとして目が覚めると、人間の私が暗い部屋の中にいた。私は今まで蝶になった夢を見ていたのだった。夢の中で私は嬉々として蝶になりきっていた。人間であることはすっかり忘れていた。自分が蝶であることにまったく疑いを持っていなかった。荘子の説話にある通り、人間の私が蝶になった夢を見ていたのか、あるいは蝶の私が人間になった夢を見ているのか、いずれが真実であるか見分ける方法はないのだと思った。夢が現実なのか現実が夢なのか、そんなことはどうでも良いことであって、いずれの世界をも受け入れて満足して生きれば良いのだと荘子は言っているということだった。そうかもしれないが、ちょっと違うような気もした。私はどちらが夢でどちらが現実かを気にしている訳ではなかった。少し疲れているのだと思った。毎日、六時に目を覚まし、満員電車に揺られ、夜遅くまで働く。その間ずっと上司の理不尽な命令に従っている。猫背でもみ手をしながら、へつらい続ける毎日を繰り返している。ずっとこんな生活が続くことに嫌気がさしているのだろう。こんな生活から逃げ出したいといつも考えているのだろう。そうした潜在意識が私を夢の中で蝶に仕立て上げたに違いない。

 

 私は再び蝶になった夢を見ていた。夢であることに気付いていた。これは夢だと気付きながら、ずっとその世界に留まり続けることがある。これはそういう類の夢だと思った。以前と同じように私は嬉々として蝶になりきっていた。お花畑の上をひらひらと舞っていた。見下ろすと菜の花の黄色が一面に広がっていた。黄色い花を見ているとなんとなく安心することができた。もう少し進んでみるとひなげしの花が咲いていた。オレンジと黄色と白と赤とピンクの色とりどりのひなげしが咲いていた。世界はなんて美しいのだろうかと思った。こんな美しい世界があることも知らず、一心不乱に働き続ける人生はバカバカしいと思った。もう少し進むと今度はユリの花が咲いていた。白いユリが雄々しく咲いていた。こんなふうに誇らしく生きてみたいものだと思った。私はずっと飛び続けていた。その後もいろいろな花が咲いているのを見た。チューリップ、ラベンダー、ひまわり。いずれの花も私に感銘を与えた。世界は素晴らしいと思った。でもこの世界は夢だった。いずれ夢から覚めて現実に戻らなければならないのだと思うととても残念な気分になった。その時、視界が揺らいだ。眼下のお花畑がものすごい速さで直線的に移動していた。鋭い嘴が私の身体をしっかり咥えていた。圧倒的な飛翔能力を持つ鳥に私は捕らえられ、そのまま空中を運ばれていた。巣に連れていかれるのだと思った。そこではお腹を空かせた雛たちが、親鳥の運んで来る餌を待っているに違いなかった。この世界で私は餌にすぎなかった。しばらく飛んでから鳥は羽ばたくのをやめて軒下に作られた巣に舞い降りた。餌を求める雛たちの甲高い声が聞こえて来た。鳥は頭を下げ、咥えた私を雛の方に近づけていた。これは夢ではなかったのか? 夢ならはやく覚めてほしいと思った。でもどうやら現実のようだった。そこには残酷な世界が持つ圧倒的なリアリティがあった。食うか食われるか、蝶もそうやって生きていたのだと思った。夢か現実か、確かにそんなことはどうでも良かった。