夏休み

 八月三十日になった。今年も例年と同様に夏休みの宿題に全く手を付けていない。少しでもやっていればすぐには終わらないことに気付いて然るべき対策を取るのだろうが、全く手を付けていなければ何もしていないということすら意識に昇らず、まっさらな手つかずの状態が維持されてしまうのだった。そして例年と同じく、明日になればそんな理屈をごちゃごちゃ並べる余裕はなくなり、一心不乱に宿題に取り組むことになるのだろう。どうせなら今日からやれば、明日は少しだけ楽になるはずだ。でも私は知っている。今日は絶対にやらない。

 

 そもそも夏休みの宿題なんて何のためにあるのだろう? 継続は力なりというから、休みの間であっても少しずつトレーニングを重ねることができるように配慮してくれているのだろうか? そうだとしたら七月中に宿題をすべて終えてしまっている妹は、八月は一切勉強しないことになるから、先生方の温かい配慮は妹には一切届いていないことになる。それでいいのだろうか? もちろん、明日にすべてを賭けている私にとっても丸っきり意味のないことと言える。自由研究に関しても一つのテーマに時間を掛けてじっくり取り組んで欲しいという意図があると察するが、やはり最終日にすべての決着をつけようとしている私には全然意味がない。さっきから、そんなことを考えている。これも毎年のことだ。ルーチンワークのようなものと考えて良い。夏休みの宿題に意味があってもなくても、宿題に一切手を付けていないという状況は変わらない。

 

 しかしこうなってしまった原因はどこにあるのだろう? 原因に対して適切な処置を打たなければきっと来年も同じことを繰り返してしまう。きっと私は、夏休みが終わってほしくないという気持ちが人一倍強いのだろう。それが宿題を放置することにつながっている。夏休みが決して終わらないのであれば、宿題なんてやる必要がない。明日も明後日も休みで、新学期は永久にやって来ない。だから宿題なんてやる必要がない。もしも私が宿題に手を付けてしまったなら、それは夏休みが終わるということを認めてしまっていることになってしまう。そこは譲れない。そんなふうに夏休みが終わってほしくないという強い気持ちが今の状況を招いた原因に違いない。それともただ怠惰なだけなのだろうか? いずれにしても宿題が終わっていないという状況に変わりはない。

 

 しかし四十日あまりの間。いったい何をしていたというのだろう。夏休みに入ってしばらくは、友達と市民プールに泳ぎに行っていた。泳ぎが好きなのもあったが、月々の小遣いでは買いたいものも買えなかった私たちは、市民プールの着替え室に並んだロッカーの下に手を入れて、落ちている百円硬貨を拾いまくっていた。そんな乞食のような振る舞いを親が見たら激怒したに違いなかったが、私たちはただひたすら百円硬貨を探していた。集めたお金で何を買ったかは忘れてしまった。

 そして八月の上旬になると母の実家に帰省した。南海電車で和歌山まで行って、そこからフェリーに乗って徳島に渡った。祖父は通りに面した長屋に住んでいた。盆休みになるとそこで阿波踊りを見ることができた。踊っているのは素人だった。一般の人が好きで踊っているのだった。踊りを先導する打楽器の甲高い音が私の中でずっと響いていた。その後に、整然とした女踊りが続き、奔放とした男踊りが続いた。一つの連が通り過ぎると、次の連が現れた。踊りはいつまでも続くような気がした。眠たくなる時間になってようやく終わった。祭りの終わった後はとても静かだった。通りがあんなに寂しそうにしているのを私は初めて知った。

 祭りが終わると、同じ県内にある父の実家に帰省した。そこで毎日、近くの神社に行って蝉を捕まえた。夏空に響き渡る蝉のかまびすしい声。翌日になったら死んでしまう虫をせっせと捕まえる小学生。朝になると虫かごの中で動かなくなった蝉を捨てた。蝉は魂が抜けて軽くなったような気がした。昨日、捨てた蝉の周りに蟻が集まっていた。蟻にとっては大きな身体を小さくちぎって大勢で運んでいた。

 夏休みの間、確かに私は何かをしていたようだった。でも、状況は何も変わっていない。宿題はまっさらなままだった。

 

 どうして毎年、同じことを繰り返してしまうのだろう。そして毎年のことだが、明日、起きたら、必死になってやり始める。自由研究のために適当に作った工作は接着剤が乾かない。四十日分の絵日記をまとめて描く。天気なんて覚えていないので適当に書く。人間の絵は頭が〇で手足は棒になっている。プールに行って泳いでばかり、実家近くの神社で蝉を取ってばかり、阿波踊りと夜店の金魚も登場する。

 

 あれから四十年が過ぎ、祖父も祖母も父も母もみんないなくなってしまった。八月が終わる頃には、最終日まで宿題に手を付けなかったことと蝉の鳴き声と阿波踊りを思い出す。八月三十一日がどんなに忙しかったかは不思議と覚えていない。