ワルハラの自衛官

 馬に乗せられている。馬の首と騎手との間にうつ伏せにされて運ばれている。眼下には緑の大地が広がっている。谷に沿って川が流れているのが見える。家や道路を走る車がとても小さく見える。馬は空を駆けているのだ。そして馬に担がれた私は空から地上を見下ろしているのだ。そっと騎手の方を見てみる。白銀の見事な甲冑を着ている。中世の騎士のようだ。いったい誰なのだろう? それにどうして私は運ばれているのだろう? そう思った時、ふと、記憶が戻る。私は自衛官だ。紛争地域に派遣されていた。諸外国とのパートナーシップを強化するため、積極的に派兵するというのが現政府のスタンスだった。そして私は現地で後方支援に当たっていた。その時、敵勢力が私たちの駐屯する村に攻撃を仕掛けて来た。敵が発砲してからしか応戦することのできない私たちは圧倒的に不利だった。そのように教育を受け、そのように訓練を受けて来た。だが、私は一発も撃つことなく凶弾に倒れた。弾は私の心臓を貫通した。即死だったはずだ。死んだはずの私がどうして生きているのだろう? もしかすると死者の国に赴く途中なのかもしれない。そうすると私を運んでいるのはきっと死神に違いない。

「気が付きましたか? 斎藤一尉」

白銀の甲冑の騎士が声を掛けて来る。これは女の声?

「これからあなたをワルハラにご案内します」

「ワルハラ?」

「神々の住むアスガルドにある城です。自己紹介が遅れて申し訳ありません。私はブリュンヒルデと申します。ワルキューレの一人です。戦死者をワルハラに連れて帰るのが私たちの役目です」

ワルキューレ。聞いたことがある。空を駆ける馬に跨る女の戦士たち。戦死者をワルハラに運び、来るべき戦いに備えているのだと言う。そうするとやはり私は死んでいたのだ。だが、こうして戦士の一人としてワルハラに迎えられることになった。

 屈強な戦士が数多くいる中で、人間を一人も殺したことのない戦士は私だけだった。気晴らしにずっと訓練を続けていたが、神々の城に対していったい誰が攻めて来るのだろうという気がしていた。不死の神々と神話に登場する英雄に守られたワルハラを攻めようなんて誰が考えるだろう? それでも巨人族はあなどれないとブリュンヒルデはいつも言っていた。だが、巨人族がそんなに強いのであれば、もっと強い戦士を集めてくれば良いと思った。元自衛官では無理がある。それほど戦闘能力が高いという訳でもないし、何と言っても先制攻撃ができない。

 

 その日は突然やって来た。城壁に常駐している見張りから、巨人族襲来の報告があった。戦士たちが次々に出撃して行った。神話に出て来る屈強な英雄たちがワルハラの門をくぐって出陣し、平原で巨人族と正面から激突した。戦いは一昼夜に及んだ。戦士たちはよく戦った。だが、巨人族の力は圧倒的だった。戦士たちを蹴散らした巨人族はワルハラに迫った。巨人にとっては城壁などあまり意味をなさない。彼らの背丈からすれば塀のようなものであり、容易に飛び越えられるのだった。そして侵入して来た巨人をワルキューレが迎え撃った。白銀の甲冑の女戦士たち。天馬に乗り、巨人相手に果敢に攻撃を加える。だが、致命傷を与えるには彼女たちはあまりに弱々しかった。ブリュンヒルデがこちらにやって来る。天馬が着地する。勢い余って転倒する。地面に投げ出されたブリュンヒルデの側に駆け付ける。

ブリュンヒルデ。大丈夫か。しっかりしろ!」

声を掛ける。ブリュンヒルデはうっすらと瞼を開いている。口元から諦めたような笑みがこぼれている。

「奴らは強い。この日のためにしっかり準備してきたのだろう。精一杯戦ったが、私では致命傷を負わせることはできないようだ。斎藤一尉。あとは頼む。ワルハラを、アスガルドを守ってくれ。国を守るのがあなたの任務だろう? そう思って連れて来た」

「確かに国と人々を守るのが私の任務だった。そのための教育を受け、そのための訓練を受け、今の私がある。だが、私には縛りがある。先に攻撃することはできないし、相手の攻撃能力を奪うことは許されても相手を殺すことはできない」

「そんなことを言っていたら、お前は死ぬぞ。いや、悪かった。お前はその信念を守って殉職したのだった。今度もそうするのか?」

「そうすると思う。ここに来て、いろいろ世話になった。恩を返せずに申し訳ないと思っている」

「いったい、お前を縛っているものは何なのだ?」

憲法だ。そこでは交戦権が否定されている。俺たちは存在を許されていない軍隊だという負い目を持っている」

「確かにお前が育った国ではそうだったかもしれない。だが、ここはアスガルドだ。お前を縛る憲法はここにはない」

私の中で何かが弾けた。傷ついたワルキューレを守ろうとする私の意志を邪魔する縛りはすでに消えていることに気付いた。ワルハラを守るために私にできる精一杯のことをやれば良いのだ。そして私はブリュンヒルデをさがらせ、僅かな手勢を率いて巨人族に立ち向かって行った。